【神様】

▼【人間】の【この世】での、(「修行」の)段階を、教える。お前は、このうち、どれに、当たるのか、知ってもらいたい。

★「下品」(※げぼん)のこと

▼初心者といえる。

将棋でいえば、入門者。駒の動かし方しか、知らない。しかし、勝てば、嬉しい。だから、師匠は、兄弟子に、駒落ちで、戦わせ、わざと、入門者に、勝たせる。入門者は、ますます、嬉しくなる。初心者が、心から将棋が好きになる段階である。

▼この、「善行」をしたら、何点あげる、と、目に見える形で、「善行」を勧める。入門者は、得点が入るのが、面白くて、「善行」に励む。「善行」が、好きになる段階である。

例えば、

・迷っている人に、道案内する→3点

・階段で、往生している老人の、荷物を持つ→5点

・喉が渇いている人に、お茶を出す→10点

「下品」の人は、得点のために、「善行」をする。点数が、貯まるのが、楽しくて、仕方ない段階である。そして、知らぬ間に、「善行」することが、楽しくなり、当たり前に、なる。

 

★「中品」(※ちゅうぼん)のこと

▼「善行」することが、【この世】での目的だと、知っている。「善行」「善行」と、常に「善行」を考えている。努力して、「善行」しようと、する。もう、「中品」の人には、点数の励みは、要らない。点数のために、「善行」するのでは、ないことを知っているから、である。

▼「中品」の人は、見た目に、「善行」に励んでいるが、それは、努力して、であり、「善行」「善行」と、「善行」に囚われている。まだ、これでは、真の「善行」とは、言えない。

▼また、「善行」しても、「善行」した、という、意識が残っている。これでは、まだ、真の「善行」とは、言えない。

 

★「上品」(※じょうぼん)のこと

▼「善行」という、意識が、消えてしまっている段階である。「上品」の人が、していることは、「中品」の人と、見た目に、変わりはないが、「上品」の人にとっては、「善行」した、という、意識すら、もう、ない。

▼当たり前のように、自然に、「善行」がなされ、しかも、跡を残すことなく、「上品」の人は、去っていく。名も残さない。「善行」をした、という、意識もない。ただ、自然に、心から、喜んでしている、行為が、傍目からは、「善行」に、見える段階である。

▼「上品」の人にとっては、努力などとは、無縁の世界に、生きている。努力など、しなくても、やることが、すべて「善行」なのである。

▼見た目に、「中品」と、「上品」は、違いはないが、段階としては、「0」と、「100」の、違いがある。それほど、違うのだ。

▼努力しないと、できなない行為など、「善行」に、値しないのだ。だから、「善行」した、良かった、などという、意識が残っている、「中品」の人が、いちばん危ない段階、だと言える。

「介護」に例える

・「介護」してやった → 「下品」以下・論外

・「介護」してあげた → 「下品」以下・論外

・「介護」した → ようやく「下品」

・「介護」できた → 「下品」

・「介護」させていただいた → 「中品」

・「介護」したという、意識もない → 「上品」

 

▼自然に、吹く風のように、お前の行為も、「善行」となれば、【この世】の「修行」も、卒業と、なろう。

★さて、お前は、どの、段階であったか? もしかして、「下品」にも、達していないのなら、今、ここから、「下品」より、スタートすれば、よいのだ。

以上である。