【神様】 ここでも、私一人で、語る。

◎ たとえ、身には「病気」があろうと、
  【魂】は、「病気」に冒されることは、なく、
  全く、健全である。

 「病気」は、辛いもの、だが、
 「病気」も、必要なのだ。
 「病気」になった、おかげで、
 初めて、気づけることは、多いのだ。

 人間は、辛い目に、あって、
 初めて、真剣になる。
 
 順調で、イケイケが、続くとき、
 人間は、有頂天になり、天狗になる。

 「病気」になった、おかげで、
 初めて、人の痛みが、わかるようになる。
 (※なってみなければ、わからないのだ)
 そして、初めて、人に、優しくできる。

 人は、「病気」になり、
 (※その気になり)
 「病人」に、なってしまうのだ。
 (※その気になり)
 「病人」を、演じてしまうのだ。
 これが、いけない。

 たとえ、「病気」になろうと、
 「病気」を、忘れている瞬間は、
 実は、「病人」ではない。
 意外と、「病気」を忘れている時間は、
 多いのだ。
 ・睡眠中、
 ・何かに、集中しているとき、
 ・大好きなことを、しているとき、
 ・大事な人と、面会しているとき、
 これらのとき、
 確実に、お前は、
 「病人」では、ない。
 「病気」であることを、忘れているからだ。

 逆に言うと、
 「病気」であると、思っているとき、
 お前は、「病人」と、なっているのだ。

 さらに、正確に、言う。

 お前が、いかに、
 自分は、「病人」であると、思い込もうと、
 お前の【魂】は、
 全く、「病気」では、ない。
 お前の【魂】は、
 完全無欠、である。
 一点の、欠けも、曇りも、ない。
 お前の【魂】は、
 完全な、まばゆい、エネルギーなのだ。
 お前の【魂】は、
 「病気」に、なりようが、ないのだ。

 お前の【魂】が、乗っている、
 その、乗り舟が、
 故障、破損している、だけだ。

 乗り舟の船長である、お前(【魂】)は、
 健全である。
 ただ、乗り舟の、操舵竿が、
 思ったように、梶を切れなくなっている、だけだ。

 船長であるお前(【魂】)は、
 ケガもしていないし、「病気」でもない。
 乗り舟が、エンジンの故障、であったり、
 船底に、穴があいて、浸水している、だけだ。

 たとえ、その「身体」が、「病気」となり、
 寝たきりと、なろうと、
 お前の【魂】は、決して、
 「病気」でもないし、
 寝たきり、でも、ない。

 お前の本性は、【魂】なのである。

 病体であろうと、病心では、ないのだ。

 (※たとえ、不治の病に冒されようと、
 【魂】は、全く、健全で、
 死後、に、その「病気」を、持ち越すことは、
 ないのだ)

 「病気」になり、
 クヨクヨすることは、あることだが、
 それでは、
 健全な【魂】まで、
 「病心」となる。

 まことに、もったいない、ことである。
 身は、たとえ、「病体」と、なろうと、
 健全なお前の【魂】は、
 「健心」であり、
 いくらでも、天空を、駆け巡ることが、
 尚、可能なのだ。

 死ぬ、一瞬まで、
 いや、
 死後、こそ、「身体」から、解放され、
 【魂】は、天空を、駆け巡る。

 そして、【霊界】に、戻り、
 【神】に、たくさんの、土産話が、
 できるのである。

 それだけ、は、
 お前には、知っていてもらいたい。