【相談】
 私は、40代女性・既婚主婦、です。
 世の中の、ニュース(事故、事件)を、見聞きするにつけても、その被害者が、良い人で、真面目であったことなどが、報道されています。
 その、理不尽さに、いつも、胸を痛めます。

 なぜ、真面目であった、のに、こんな目に遭うのでしょうか? こう、感じているのは、私だけでは、ないと思います。

 一風先生。これについての、お考え、お教え願います。

【神様】
 お前たちの、見え、考える、スパンが、余りにも短すぎる。一回の「人生」の、目の前の瞬間だけで、判断している。だから、起こることに、不平等さを感じるのだ。
 【神】は、およそ、お前たちの、100回に及ぶ、人間「修行」の、観点から、お前たちの、「人生」を許可している。
 100回に、及ぶ「人生」からは、全ての事が、平均化され、理不尽さは、ない。
 それが、お前たちには、見えないのだ。
 【真理】に、目覚めれば、私(※【神】)の、言わんとしていることは、わかるはずだ。

【一風】
 まことに、「あなた」の言われることが、「人生」の実感で、あります。
 まことに、「人生」は、不平等で、理不尽なこと、ばかりです。
 なかでも、事件や、事故、に、巻き込まれ、不慮の【死】を、遂げることは、たまりません。なぜなんだ、という、思いに、なります。いたたまれない思いを味わう。それが、人間だと、私一風も、思います。

 ですが、今回、【神様】は、「あなた」に、異例に長いご回答を、語っておられます。真実は、私たちの、思いとは、超えたところに、あるようです。

 私一風から、【真理】の視点に立った、解説を申しあげます。(※私一風にも、苦しい部分が、あるのは当然です)

 ・見返りを、望まない

 これは、【真理】の、一つですが、
 事あるごとに、この、【真理】を、
 実感します。

 何かを、為し、そのことに、結果(※見返り)は、期待など、してはいけない、ということです。

 真面目であった、ことと、
 それに、対する、良い因果は、
 ただちには、対応しない、のです。
 
 「人生」を超えた、長い視点に立って
 はじめて、平均化されていることに、
 気づける、ようです。
 これは、人間業では、体感は、不可能です。
 ただただ、【神様】の、言わんとされていることに、
 従うのみです。

 世の中、たまらない、事件や、事故、
 が、目立ちます。
 良いことを、している、人だったのに、
 真面目であった、のに、
 なぜだ。
 報われない、では、ないか。
 神も仏も、ないものか。
 と、感じるのは、
 人間として、自然な感情です。
 これを、否定することは、できません。
 しかし、【神様】は、これを、グッとこらえて、
 乗り越えてほしいと、仰られているのです。

 世の中とは、こんなもの、なのかも、しれません。
 だがらといって、
 ヤケを起こしたり、
 短気に走ったり、することは、
 なりません。

 そう、私一風は、考えています。

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