【【神様】からの解説】

 ◎ 少年老い易く、学成り難し
   一寸の光陰、軽んずべからず
  (※朱子(朱熹)『偶成』より)

 学ぶべきこと、は、
 若ければ、若いほど、よい。
 なぜなら、
 学んだことが、実践できる期間が、
 それだけ、長くなるからだ。

 こういう、言い訳を、よく聞く。

 ・今、忙しいから‥‥

 ・そのうち、暇が、できたら、
   やってみる、行ってみる‥‥

 「そのうち」などは、絶対に来ない。
 「暇」なども、いつまでたっても、得られない。

 お前たちは、
 すべきことを、やらねばならないことを、
 せずに、
 一寸伸ばしに、先伸ばしている、だけだ。
 
 今の、安泰に、安住し、
 現況で、よいと、甘んじてしまい、
 (※これが、人間の弱点である)
 すべきことを、せず、
 気がついたときには、
 すでに、老いてしまい、
 実践が、かなわなく、なってしまっているのだ。

 【神】の目から、
 これは、もう、待った無しだ、
 と、なっている場合、
 【神】は、やむを得ず、強制的に、
 お前たちを、
 事故に遭わせたり、
 病気にさせたり、
 痛い目に、遭わせるのである。

 お前たちは、自分が、「不幸」に見舞われ、
 はじめて、シャンとする、からだ。
 本気に、なるからだ。
 痛い目に、遭って、はじめて、
 他人事でなく、自分事で、
 動き出すからだ。

 【この世】での、お前たちの、寿命は、
 すでに、決められている。
 つまり、与えられた【時間】は、
 限られている、ということ。
 今も、刻々と、その、残り【時間】は、
 減っている。

 本当は、お前たちは、
 誰一人として、
 ボヤボヤしている、暇、こそが、
 ないのだ。

 【真理】は、与えられるものではない。
 【真理】は、自分から、獲得にいって、
 はじめて、体得できるもの。
 己は、ツバメのひなのように、じっとしていて、
 親鳥が、エサを運んできてくれる、
 わけでは、ないのだ。

 ・光陰矢の如し

 己の、怠慢を棚に上げて、
 今、忙しい  とか、
 暇ができたら  などと、
 逃げることの、もったいなさ、に、
 気づいてもらいたい。

 今回は、ここまでと、する。