【【神様】からの解説】

 ◎「転ばぬ先の杖」は、可能なのか?

 先々の、災難を未然に、逃れるための、
 対策(※杖)は、
 やるにこしたことは、ない。

 だが、いくら、杖を持とうと、
 遭うべき災難には、遭う、のである。

 だからと言って、
 対策(※杖)を、しなくていいのか?
 と言われると、
 するに、こしたことは、ない、
 とは、言える。

 基本的に、【この世】とは、
 実体験、する、場である。
 実体験、とは、肌身で感じる、こと、
 を、意味する。

 痛み、悲しみ、
 喜び、嬉しさ、
 を、五感で、体感する、場なのである。

 良いこと、には、
 意味が、あるが、
 悪いこと、にも、
 意味が、ある。

 むしろ、悪いこと、にこそ、
 大きな、意味が、ある、
 のである。

 痛み、悲しみ、を、伴う、
 悪いこと、は、
 お前たち、に、とっては、
 まことに、辛いこと、だが、
 それを、味わうために、
 【この世】に、生まれてきた、
 と言っても、過言では、ない。

 遭うべき、災難は、
 どう、しても、
 遭う、のである。

 その、遭うべき、災難に、遭うために、
 日常の、小さな、災難を、
 「転ばぬ先の杖」で、
 防ぐ、ことは、てきる、
 と、言える。

 遭うべき、災難には、
 「転ばぬ先の杖」は、
 (残念ながら)通用しない。

 生まれる、前の、「人生」のシュミレーションで、
 災難に、ついては、
 お前たち、は、納得済み、なのだ。
 
 表現が、難しいが、
 お前たち、は、災難に、遭うために、
 生まれてきた、のだ。
 
 だから、甘んじて、
 災難を、浴びなければ、ならないのだ。
 そこに、大きな、学習が、
 あるのだ。
 直に、体験しなくては、
 学習に、ならないのだ。
 
 人間は、悲しいかな、
 経験したことしか、学べない。
 頭で、わかったことは、
 わかっては、いないのだ。

 そのために、辛いこと、悲しいこと、
 が、存在する。

 そうである、以上、
 災難を、浴びてもらいたい。
 そして、
 その、災難の、意味を、学習して、もらいたい。
  
 災難には、意味が、あるのだから。

 災難こそ、
 お前たち、を、真剣にさせ、
 お前たち、を、気づかせ、
 お前たち、に、【真理】のあることを、
 知らしめる。

 今回は、ここまで、とする。