【【神様】からの解説】
◎「真の「同行二人」とは?」
(※お前たちは、孤独ではない。)
四国お遍路で、その杖には、
「同行二人」と、書かれている。
一般には、
たとえ、一人でのお遍路であろうと、
お大師(弘法大師・空海)さまと、
一緒に、歩いているのですよ、
と、とらえられて、いる。
だが、それは、方便で、
真の意味は、似ているが、違うのだ。
・「人生」とは、守護霊との、「同行二人」
なの、である。
お前たちには、各々、一人ずつに、
守護霊が、もれなく、
配置されている。
守護霊は、お前たちからは、見えない。
ただ、お前の、「人生」を、
見守る、のが、任務である。
お前たちに、認知されようが、認知されまいが、
守護霊は、いる。
守護霊の、「修行」は、
ついている人間から、
たとえ、認知されなくとも、
ずっと、「人生」を、見守る、ことにある。
ついている人間が、
たとえ、目の前で、災難に、遭うことになろうと、
ただ、見守る。
ただし、お前たちに、
守護霊は、インスピレーションを、
送ることは、許されている。
しかし、お前たちは、インスピレーションを、
キャッチできない、ことが、ほとんど、である。
キャッチできても、
自分の、思いつき、と、
感じる、のだ。
だが、実際は、
お前の「人生」を、
ずっと、お前の守護霊は、見守り続けている。
だから、お前は、本当は、
孤独では、ないのだ。
たとえ、無人島で、一人、取り残されようと、
お前は、一人、ではない。
守護霊と、共に、いるのだ。
お前たちが、その気にさえ、なれば、
守護霊との、通信は叶う。
ただ、今は、
お前たちが、守護霊のことを、知らず、
通信、どころでは、ないのだ。
お前たち、次第なのだ。
「人生」とは、守護霊との、「同行二人」。
これが、真の姿である。
【真理】に、目覚めれば、
これを、当然のことと、受け入れられ、
守護霊と、お前は、常に、
やりとりしながらの、「人生」とできる。
真に、明るく、有意義な「人生」と、できる。
お前たちは、本当は、
孤独とは、無縁なのだ。
孤独は、有り得ないこと、なのだ。
今回、は、ここまで、とする。