一風からの、「人生」に生かす100の【真理】 その87

◎ 生活さえできれば、いいのか?

  探究していく、道

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☆☆【私(※一風)から】

 私(※一風)は、ずっと思ってきたこと、
 が、あります。

 それは、

 △ 生活さえできれば、いいのか?

 という、問題です。

 日常では、生活できるか、どうかが、
 第一義的な問題、です。

 その前日には、
 探究していく姿勢、
 (※マニアックと言ってもいいでしょう)
 は、第二・第三義的問題、と、なります。

 第二・第三義的、なことに、
 突入して、極めていこう、
 とする人が、理解される、ことは、
 非常に、少ない、のです。

 もっと、言えば、
 何をやっているんだ?
 と、蔑んで、見られることすら、
 あるのです。
 
 そんなことをやって、
 何の飯のタネになるんだ?

 食べる物を作る人が、いちばん偉い、
 のだ!

 そんな、環境の中、
 一般の人に、
 第二・第三義的、なことを、理解させようと、
 することは、ほぼ、不可能、 
 と、なります。

 この、第二・第三義的、なことの、典型に、

 ◎ 【真理】

 も、含まれているのです。

 確かに、
 【真理】を、探究し、
 体得できたと、しても、
 生活できるか、どうかが、とは、
 先ず、関係ありません。

 生活できるか、どうか、とは、
 これは、別問題、なのです。

 別問題、だ、からと、言って、
 では、【真理】を、無視していて、いいのか?
 と言うと、
 実は、そうではないのです。

 いつかは、
 人は、渡らねば、ならない道なのです。

 その、いつか?
 の、早い遅い、だけ、
 だと、私(※一風)は、
 強く思うように、なりました。

 私(※一風)は、できれば、
  
 ◎ 早く

 と、思っているに、過ぎません。

 ただ、それは、
 各人が、己で決めるだけで、
 他人が、強制できることでは、ないのです。

 ◎ 人は、パンのみにて、生きるに、
   あらず

 なのです。

 さて、あなたは、いかが、
 お考えで、しょうか?

 尚、
 もちろん、生活は、第一義的に、
 大事な、問題で、あることは、確かで、
 これを、否定するものでは、ないことも、
 ここに、付け加えて、おきます。
 
 心が、那辺にあるか? どうか?
 が、いずれにしても、肝でしょう。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。