特別連載:06『続・蜘蛛の糸』~カンダタと蜘蛛の精ヤアの物語~
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【6・カンダタのその後】
ここは、極楽の入り口でございます。
そこは極楽とは言え、その中では一番低い土地です。
地獄を抜け出せた者たちが、最初に踏み入れる土地がここなのです。
ここらは極楽とは言えまだまだ薄暗く、草も生えていないゴロ地です。
ようやくカンダタは、連れてきた百人の亡者たちと、ヘトヘトになりながらも、「命の糸」、いいえそれから変わった「命の梯子」を伝ってよじ登って来たのでした。
カンダタ:
「ハアハア‥‥。ああ、なんてここはまぶしいんだ!」
「きっとここは極楽だ! もうあの鬼たちもいない!」
「ヤア。そしてお釈迦様。ありがとうございます。このご恩はきっと忘れません!」
「みんなも、ヤアとお釈迦様にお礼を言おう!」
するとカンダタとその一行百人は、大きな声で「ヤア様、お釈迦様、ありがとうございましたー!」と、幾度も幾度も合唱するのでした。
そうしているうちに、カンダタは、あるものに気づきました。それは遠くに見える、ほのかな明かりです。
「うん? ずっと向こうの方に星のような明かりが見えるぞ! あそこに何かある。よし!あそこに向かって歩こう! おおい!みんな! 一緒に行こう! 出発だあ!」
カンダタと連れてきた百人の一行は、はるか彼方に見えるその明かりに向かって、歩を進めたのでした‥‥。
その明かりは、地獄を卒業した人が新しく極楽の住人になるために学ぶ「命の学校」の明かりなのでした。
カンダタとその一行百人は、その「命の学校」で、これから学ぶことになるのです。
いったい何を学ぶのでしょうか?
読者のあなたなら、どう想像しますか?
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それでは、お答えいたしましょう。
そこではそう、それは第一に、「命の尊さ」。そして、「他人への思いやり」「人の役に立つ」ことこそ尊いことと、学ぶのです。
それまでカンダタが持っていた、「なんでも人のせいにする心」「欲張りの心」「自分さえよければよい」「人より得をしたい」といった暗い気持ちを、捨てることを学ぶのです。
読者のあなたなら、もうそんなことはできていることですね?
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さあ今頃、カンダタはヤアと共に「命の学校」で、楽しく学んでいることでしょう。
そして、いつの日かそこで学んだことを、今度こそ地上で人間に生まれて実行するでしょう。
もうカンダタは、一人よがりで威張っていた、あの大泥棒のカンダタではなくなったのです。
きっと明るい、人に優しい、人のために尽くせるカンダタとして、再度地球に生まれてくるでしょう。
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さあ、この物語は、ここでいったんお終いです
ですが、皆さん?
今あなたの横にいる人。
そう、その人が、ひょっとしたら、このカンダタの生まれ変わりかも、しれませんよ‥‥。
いや、今この本を読んでいるあなた。
あなた自身が、このカンダタの生まれ変わりかも、しれませんね‥‥。
~終わり~
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【7・あとがき】
この物語『続・蜘蛛の糸』は、カンダタのその後として、一つの可能性を書いたものに過ぎません。
もっと別の、カンダタのその後があっても、いいのです。
私の書いたカンダタは、蜘蛛の精(ヤア)のちょっとした一言で、直ぐに気づけ、反省できるカンダタでした。
反省できるということは、カンダタには、蜘蛛の精(ヤア)の言うように、「善の本性」が元々備わっていた、ということです。だからそうと気づければ、カンダタは改心し一気に極楽へと登ることができました。それも百人も引き連れて‥‥。
私たち人間も、このカンダタと同じではないかと確信いたします。
私たち人間は、時に様々な過ちをしてしまいます。
しかし、私たちはその本性である「善なる芽」を、皆持っているのです。問題は、それに気づけるかどうか、だけなのです。
私はこの原典にあたる『蜘蛛の糸』を書かれた、芥川先生を尊敬しております。私が書きました『続・蜘蛛の糸』の有無にかかわらず、それは燦然と輝く名作であります。
私の『続・蜘蛛の糸』が、芥川作品の『蜘蛛の糸』を補完するものになれば、幸いです。その思いしか、私にはありません。
もっと別の『続・蜘蛛の糸』が出てきても、いいでしょう。
きっとそれも、芥川先生は許されることだと、思っております。
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原著から104年が経った、令和4年4月
庄田一風 謹んで記す