【神様】

 ダルマ大師の言われた言葉を、お伝えする。

 ダルマ大師は、インドを離れ、南回りで、
 中国・南朝の「梁」に、入った。
 当時の「梁」の皇帝が、武帝である。

 ダルマ大師は、身体一つで、何も持たず
 中国・南朝に、やって来た。
 武帝から、
 「お経の一本も、お土産はないのか」
 と、問われると、
 ダルマ大師は、

・【教外別伝】(きょうげべつでん)
・【不立文字】(ふりゅうもんじ)

 と、答えたのだ。

 【真理】とは、お経の教え、には収まりきらない。
 【真理】とは、文字では、表現しきれない。
 【真理】とは、【以心伝心】である、
 【真理】とは、自ずと、知る者にこそ、伝わる。

 ということを、言いたかった、のだ。

 【真理】が、本に書けるなら、
 本を読んだ者は、皆、悟れる、はずだが、
 実際は、残念ながら、そうは、ならない。
 同じ、文字を、読んでも、
 ハッと、気づける者は、少ない。
 多くの者は、チンプンカンプン、なのだ。
 
 文字が、あろうと、なかろうと、
 文字などは、関係なく、
 悟れる者は、悟るのだ。
 文字が、読めなくても、
 悟れる者は、悟るのだ。
 ハタと、悟るのだ。

 文字が、見えない、視覚障害者であろうと、
 声が、聞こえない、聴覚障害者であろうと、
 悟れる者は、悟るのだ。
 
 本に文字で、書かれたことは、
 悟った者が、読めば、わかるのだ。
 文字は、悟りへの、キッカケに過ぎない。
 お釈迦様は、本など、残さなかった。
 あったのは、弟子への、口伝だけ。
 ダルマ大師も、同じ、なのだ。
 お経、に、頼ろうとする、心を、
 戒められたのだ。

 その後、ダルマ大師は、
 南朝を、見切り、
 北朝の、「北魏」へと、向かう。
 そこでも、正しく、仏教は、
 伝わっていないことを、見て、
 少林寺、郊外の、お洞窟(ダルマ洞)で、
 座禅ざんまい、に、入られたのだ。

 【真理】は、文字で、は、書き起こせない。
 ただ、その、ヒントと、できるだけ。
 さらに、言うと、
 【真理】は、「口伝」ですら、
 伝えるのは、困難なのである。
 ひとえに、受け手の、素直な器、次第。

 ゴルフで、例えよう。
 いくら、ゴルフの「指南書」「打ち方の手引き」
 を、熟読しようと、
 実際に、ゴルフは、うまくはならない。
 「指南書」「打ち方の手引き」
 を、読むことは、無駄ではないが、
 実際に、現場で、ゴルフをしてみること、
 これ、以外に、
 ゴルフがうまくなる、道は、なかろう。
 理論より、実践で、会得するのだ。

 おわかりかな?

 それが、
 【教外別伝】【不立文字】なのだ。

 以上である。