【【神様】からの解説】

 ◎ 見ているお湯は、沸かぬ。

 このように、実生活でも、時間の感覚は、
 主観的なのだ。
 
 待つことは、
 長く、感じたり、
 夢中になれることは、
 あっという間に、感じたり、
 さまざま、なのだ。

 釣りでも、
 仕掛けて、竿を投入したら、
 魚が、食いつく、まで、
 ひたすら、待たねば、ならない。
 お前が、いくら、イライラ焦ろうと、
 魚が、食いつかねば、
 釣れないのだ。

 植物の種を、土に埋めても、
 芽が出るには、時期と時間とが、かかる。
 植えたら、待たねば、ならない。
 植えたのに、まだかまだかと、
 土を掘り返したり、
 水を遣りすぎると、
 植物は、枯れる。

 お前が、手紙を書いても、
 返信が、来るのに、
 いくら、表で、郵便屋を、待っても、
 ダメである。
 相手が、返事を、書かねば、
 また、郵送の、時間を、待たねば、
 お前に、返事は、届かない。

 ここで、お前も、気づくだろう。

 仕掛け、までは、お前の仕事。
 そこからは、相手の、仕事。
 お前に、できることは、
 お前のこと、だけ。
 相手のことは、お前には、できない。

 ◎ お前の、「人生」の主人公は、お前だけ。

 相手の「人生」の、主人公に、お前は、絶対に、なれないのだ。

 いくら、お前が、一生懸命、
 火が入った、かまどを見つめようとも、
 お湯は、もう、お前ではない。
 ひたすら、お湯に、任せねば、ならないのだ。

 そして、真実は、
 お前が、かまどから、目を離すと、
 お湯は、いつの間にか、
 沸いているので、ある。

 お前が、何かを、為しても、
 お前に、できるのは、そこまで。
 それの、見返りを、求めては、ならない。
 見返りを、するのは、
 お前では、ないからだ。

 お前は、お前の、できることを、
 すれば、それで、よいのである。

 ◎ 見ているお湯は、沸かぬ。

 のだ。