【【神様】からの解説】

 ◎「のど元過ぎれば、熱さ忘れる」
 
 せっかくの、学習した教訓も、
 一時の、効き目しかなく、
 また、元の、木阿弥に、戻る、こと。

 ◎「のど元過ぎても、熱さ忘れず」

 ぜひ、こう、あってもらいたい。
 しかし、こうできる者は、ほとんど、いない。

 毎日の、無事や、
 今の、健康を、
 もはや、当たり前、と、とらえ、
 【感謝】の、【念】が、生まれない。

 しかるに、逆境に襲われ、
 そのとき、真剣に、
 どう、乗り越えるかを、
 祈り、考えた、ことが、
 【宝】であったのに、
 その、嵐が過ぎ去ると、
 その場限り、で、【宝】を忘れてしまう。

 まことに、惜しいこと、である。

 【真理】を、悟った者は、
 日々の、日常が、いかに奇跡的で、
 毎日の、動ける、健康が、
 決して、当たり前、ではなく、
 その、毎日にこそ、
 【神】に、感謝するのである。

 【真理】を、未だ悟ってない、者は、
 日々の、日常も、当然のことと、思い、
 毎日の、動ける、健康も、当然のことと、思い、
 その、毎日に、
 感謝することは、滅多にない。

 空気があり、日が昇り、
 足で歩け、手でつかめ、
 誰かと、話しが、でき、
 食事が、でき、
 睡眠が、とれる。
 これを、当たり前、と、
 錯覚している、わけだ。

 当たり前、と、とらえている、間は、
 残念ながら、お前たち、に、
 【魂】の成長は、ない。

 だから、お前たち、の、
 【魂】に、活力を与えるため、
 敢えて、「嵐」に、遭わせる、わけだ。
 強制的に、学習させる、わけだ。

 「嵐」に、遭わない「人生」では、
 お前たち、は、本気に、ならない、
 とも、言える。

 魚にとって、水は、見えず、
 あって、当たり前。

 人間にとって、空気は、見えず、
 あって、当たり前。

 当たり前、という、思いでは、
 【感謝】の【念】など、
 起きようが、ないのだ。

 だから、【神】は、
 カンフル剤として、時に、
 「嵐」に、遭わせる。
 「悪」の、存在も、許す。
 のだ。

 ◎「のど元過ぎても、熱さを忘れない」

 の、境地で、生きる、存在と、
 なって、もらいたい。

 今回、は、ここまで、とする。