人生に役立てる、古典の知恵「27」

◎ 禍福は、糾える縄の如し
 (※かふくは、あざなえるなわのごとし)
 (『史記』、『漢書』)

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【【神様】ご自身からの、解説】

 お前にとって、都合のいいことが、
 福、であり、
 
 お前にとって、都合の悪いことを、
 禍、と、呼んでいる、
 だけである。

 福も、禍も、出来事であるのに、
 変わりはない。

 この、出来事に、いちいち、
 福だの、禍だの、意味づけして、
 一喜一憂することは、
 翻弄(※ほんろう)される、「人生」となる、
 原因と、なるのだ。

 尚、私(※神)の前には、
 禍福など、いっさい、ない。
 あるのは、ただ、宇宙の法則に基づいた、
 出来事の、連続だけである。

 私(※神)は、出来事に、意味づけしないが、
 お前たちは、これに、意味づけ、
 しているのである。

 そうすることを、私(※神)は、
 お前たちに、許しているので、ある。

 真の幸せとは、何か?

 目の前に展開する、禍福に、
 真の幸せは、ない。

 このような、さまざまな、禍福を、
 「人生」として、体験できている、
 そのこと、自体が、幸せなのである。

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【私(※一風)からの、解説】

 「人生」では、
 まさに、寄り合わせた、縄のように、
 幸福のあとには、不幸が、
 また、
 不幸のあとには、幸福が、
 不思議と、訪れるように、思えます。

 「人生」、まさに、
 泣き笑いの、連続である、
 との、教え、であります。

 裏を返すと、
 
 幸福も、長くは続かず、
 不幸もまた、いつまでも、続く、
 のではない、
 ことを、伝えてくれて、います。

 天気でも、
 いつまでも、晴れは、続かず、
 雨も、いつかは、止みます。

 日々、刻々と、変化していく、
 のが、天気だけでなく、
 日常が、全て、そうなのです。

 変化が、あるからには、
 禍福が、サイコロの目のように、
 コロコロと、丁半、のように、
 現れる、のです。

 一喜一憂することは、
 仕方ないことと、思いますが、
 過度に、一喜一憂することは、
 変化に、弄(※もてあそ)ばれている、
 ことになります。

 【真理】を、得て、
 冷静に、糾(※あざな)える縄を、
 受け流し、こだわらず、
 眺めていく、ことが、期待されます。

 あなたには、【真理】が、必要です。
 これが、体得できれば、

 ◎ 幸福は、不幸の始まり

 であり、

 ◎ 不幸は、幸せの芽である

 ということにも、気づけること、でしょう。

 読者の皆様、
 【人生相談・ダルマ堂】まで、お越しください。
 このことを、
 あなたに、ご説明いたします。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。