【『小桜姫物語』から学ぶ真理「08」】
◎ 小桜姫より
※ 神社というものの、性質について。
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【引用文】
小桜姫:
現世の方々は、まだ神社というものの、
性質を、よく、ご存知ないものと、思います。
お宮、というものは、
あれは、ただお賽銭をあげて、
柏手を打って、
首を下げて、引き下がるために、
できている、飾り物では、ないようで、
ございます。
赤心を込めて、
一生懸命に、祈願をすれば、
それが、直ちに、神様の御胸に通じ、
同時に、神様からも、これに対する、
お答えが、降り、
時とすれば、
ありありと、そのお姿までも、
拝ませていただける、ので、ございます。
つまり、すべては、
魂と、魂の、交通を狙ったもので、
こればかりは、実に、何とも言えぬほど、
うまい、仕組みに、なっているので、
ございます。
もちろん、地上の人間は、
肉体という、厄介なものに、包まれておりますから、
いかに、神社の前で、精神統一を、なされましても、
そう容易に、神様との、交通は、できますまいが、
私どもの、ように、
肉体を捨てて、こちらの世界へ、引っ越した、
ものに、なりますと、
ほとんど、すべて、の仕事は、
この仕掛けのみによりて、行われる、
ので、ございます。
なに?
人間の世界にも、近頃、電話だの、
ラジオだの、という、
重宝な機械が、発明されたとか?
それは、たいへん結構なことで、ございます。
しかし、それなら、尚更、
私の、申しあげることが、よくおわかりの筈で、
ございます。
神社の装置も、ラジオとやらの装置も、
理屈は、だいたい、似たもの、かも、
しれません。
つづく
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『小桜姫物語』より、引用抜粋
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。