『神様』から学ぶ、真理と人生哲学「141」

◎ モノを持つこと、の幸せは、
  一時的な、幻の幸せ、である

 ※ 真の幸せは、モノには、ない

 ※ 真の幸せは、真の己を、知ること、
   にしか、ない

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★★【【神様】ご自身から】

 いいモノを、たくさん持ち、
 いいモノに、囲まれて、生きるのは、
 【この世】では、いたって、快適であり、
 これこそ、【この世】の、幸せ、と、
 至福感を、満喫、できよう。

 そのように、なることを、
 目標に、
 人生を、考えている、者は、
 たいへん、多い。

 ※ 物欲に、生きる、人生

 ※ モノ獲得競争に、勝つ、人生

 である。

 しかし、いつしか、歳をとり、
 「死」が、近づくと、
 この、幸せ観(※物欲の肯定)に、疑念を、
 抱くのである。

 ※ 死んだら、私は、どうなるのだろうか?

 と。

 ※ この、身体も、モノであり、
   死ねば、無になるのでは、なかろうか?

 ※ この、必死で集めた、私の、財産(※モノ)、
   は、死後、どうなるのだろうか?

 ※ もし、死後、私が、尚、
   有り続けるとして、私は、
   神(※?)から、どう判定されるのだろうか?

 ※ 【この世】で、もっと、
   生きられない、だろうか?

 と。

 これらの、疑念は、
 真理を、知らない者に、とっては、
 当然、襲われる、疑念である。

 それまでの、人生観が、
 【この世】に、対して、だけ、
 にしかなく、

 それまでの、人生観が、
 モノに、幸せが、あると、
 してきた、からだ。

 ※ モノが、全て

 ※ 身体(※健康)が、全て

 ※ 病気、障害、そして「死」は、敗北

 という、【この世】限定の、視野での、
 幸せ観で、生きてきた、のである。

 人間とは、その身体であり、
 生きている、間、だけの、存在、
 ならば、
 
 ※ モノ、健康、至上主義

 は、的を射ている、だろう。

 だが、それは、大きな、錯覚、
 なのである。

 あなた、とは、

 ◎ 「死後」も、存在する

 からである。

 ◎ モノよりも、大事なことが、あった

 のである。

 さて、あなたは、今、どんな、
 人生観・幸せ観、で、生きている、
 だろうか?

 今、【この世】限定、の、人生観、では、
 たいへん、心もとなく、
 私(※神)は、残念に、思う、
 のである。

 真の己を、知った、人生観こそ、
 真の幸せに、つながる、
 ことに、あなたも、
 早く、気づいて、もらいたい。

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私(※一風):神様、ありがとうございました。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。