『新樹の通信』から学ぶ、【真理】‥‥「25」
◎ 新樹自身の、守護霊とは? ④
守護霊(※佐伯信光)からの、報告
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☆☆【私(※一風)から】
守護霊である、佐伯信光さんからは、
貴重な、様々の情報が、語られます。
私たちが、『守護霊』という、言葉から、
受ける、印象とは、
かなり、違う実態が、あるのです。
では、前回の続きを、載せます。
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『新樹の通信』より
浅野和三郎:
新樹は、いったい、多趣味の男で、
文学も好き、絵画も好き、
運動も好き、という、塩梅でしたが、
わけても、音楽に対しては、
ちょっと、素人離れのする位の、
理解と、趣味とを、持ち、
殊に、ハーモニカの吹奏は、
手に入っていました。
守護霊と、本人との、関係は、
そんなにも、密接なものと、みえますね。
守護霊(※佐伯信光):
左様でございまする。
人間の性格、趣味の、約七割位は、
その人の、背後に控えている、
守護霊の、感化で、ございます。
で、新樹という人物は、
よほどの程度まで、私に似ておりましたが、
ただ、あの子の方が、
体格は、遥かに私より、優れていたように、
思いました。
あの子が、よもや、かように早世しようとは、
夢にも、思いません、でした。
浅野和三郎:
すると、あなたにも、当人の死は、
やはり、お判りには、なりません、
でしたか?
守護霊(※佐伯信光):
死ということは、我々守護霊にも、
◎ その間際まで、教えられない
のが、通例で、ございます。
ずっと、上の神様には、お判りになって、
いられるで、ございましょうが、
我々の境涯では、
とても、判るものでは、ございません。
浅野和三郎:
いや、話題が、大分、飛んだ方面へ、
飛びました。
後へ戻って、しばし、
あなたの、ご経歴を、伺わせてください。
あなたは、ただ、音楽修行を、なされただけで、
どちらにも、仕官、というようなことは、
なさらなかった、のですか?
守護霊(※佐伯信光):
いや、未熟ながらも、
その道で、将軍家に、仕えました。
浅野和三郎:
ご家庭は、作られましたか?
守護霊(※佐伯信光):
生涯に、一度も、妻帯は致しません。
浅野和三郎:
あなたの父母、兄弟は?
守護霊(※佐伯信光):
私の両親は、早く歿りましたので、
私は、幼時の際から、
親戚の手で、育ちました。
兄弟は、三人。
いちばん上が、姉、
その次が、兄、
その兄が、家督を継ぎました。
私は、三番目の末っ子で、ございました。
浅野和三郎:
あなたの、信仰は?
守護霊(※佐伯信光):
私の家では、代々、神道でありましたため、
私も、神様を信仰致して、おりましたが、
別に、これぞ、という、
深い理解を、持っていた訳では、ございません。
浅野和三郎:
あなた方の時代の、学問は?
守護霊(※佐伯信光):
主に、漢学で、ございます。
それに、少しばかりの、国学のほうを、
加えた位の、もので‥‥。
全体、私は、あまり、
身体が、丈夫な方でございません、ので、
充分身を入れて、蛍雪の苦を積む、
というほどの、修行は、
致しません、でした。
浅野和三郎:
あなたは、どんな病気で、
お亡くなりに、なられましたか?
守護霊(※佐伯信光):
平常から、私は、心臓が弱かった、
ので、
別に、床に就いて、寝るような事も、
ありませんでしたが、
どうも、他の方々のように、
活発に、働くことが、できなかった、
のです。
私の命取りの、病気も、
結局、その心臓でした。
が、その時、
私は、急死したらしく、
少しも、その際の、記憶が、
残っておりません。
どの位経って、正気が、ついたものか、
私には、とんと、判っておりません。
初めて、幽界で気がつきました、時は、
丁度、夜が明けて、
目が覚めた、のではないか、
と、思いました。
つづく
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☆☆【私(※一風)から】
佐伯信光さんの、生きていた頃、
江戸中期の、出来事が、
語られました。
この後、
佐伯信光さんの、死後の状況や、
佐伯信光さんの、守護霊が、出てきます。
それは、次回に紹介するとして、
このように、
私たちには、それぞれ、守護霊が付いていて、
その、守護霊だった人にも、
守護霊が、付いている、
という、ことです。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。