『新樹の通信』から学ぶ、【真理】‥‥「28」
◎ 乃木将軍、との対話 ①
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☆☆【私(※一風)から】
『新樹の通信』では、
対話による、報告が多く、
その内容が、非常に、具体的であることが、
顕著な、特徴です、
さて、
ここに登場する、乃木さんとは、
日露戦争で、旅順攻略戦で、指揮を執った、
乃木希典・陸軍大将の、ことです。
203高地の戦い、などは、特に有名でしょう。
多大の犠牲を払っての、勝利でした。
明治天皇が、崩御され、
大喪の礼が、執り行われた日に、
ご婦人共々、自刃・殉死されました。
後日、
乃木将軍を称え、乃木神社が建立され、
そこに、至る坂が、
乃木坂と、名付けられました。
その、乃木将軍と、新樹霊が、
対面し、様々な対話が、なされました。
今回より、しばらくの間、
乃木将軍と、新樹霊との、対話を、
載せたいと、思います。
果たして、どのような対話が、
なされたので、しょうか?
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『新樹の通信』より
地の文:
私(※浅野和三郎)が、初めて、
新樹の守護霊(※佐伯信光)に頼んで、
乃木さんの、近状を偵察して、もらった、
のは、
昭和5年10月7日の、午後でした。
すると、守護霊からの、報告は、
こうでした。
守護霊(※佐伯信光):
乃木という方は、もう、
幽界で、立派に自覚されて、
おられます。
で、私が、この方と、通信を試みる、
ことは、
いと、易いこと、でござりまするが、
近代の方との交通は、やはり、
乃木さんを、知っている、新樹の方が、
万事につけて、好都合であります。
私は、年代が離れ過ぎているので、
少しも、その経歴を知らず、
質問するにも、至って勝手が良くない。
むしろ、新樹が、乃木さんを、訪ねる、
にして、
私が、側に控えておる、には、おりますが、
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地の文:
この応えは、至極もっともだ、と、
考えられた、ので、
私は、佐伯さんに、退いてもらい、
その代わりに、新樹を呼び出し、
早速、乃木さん訪問を、命じました。
相変わらず、幽界の交通は、
至って、敏活で、
約十分後には、早くも、
新樹の報告に、接することが、できました。
新樹は、いつもより、ずっと緊張した、
謹直な態度で、語り出ました。
新樹霊:
只今、乃木さんに、お目にかかって、
参りました。
乃木さんは、もう、立派に自覚して、
おられます。
あいにく、僕とても、
生前、直接、乃木さんの風姿に、
接したことは、一度も、ありません。
乃木さんが、出征された時分に、
僕は、ようやく生まれた位の、ものですからね。
従って、僕の、乃木さんに関する、知識は、
ただ、書物で読んだり、
人から、聴いたりした位の、ところです。
幸い、僕は、大連に住んでいました関係から、
乃木さんが、畢生(※ひっせい)の心血を、
注がれた、
旅順口付近の、古戦場には、
生前、何回か、行ってみました。
そうそう、お父さんが、
洋行されるために、大連に立ち寄られた、
時にも、
ご一緒に、あの爾霊山高地に、登りましたね。
僕は、あの忠魂碑の前に立った時に、
いつも、四辺を見回して、
さぞ、この高地を奪るのは、困難であった、
ろうと、
当年の、乃木さんを、偲んだもの、です。
で、僕は、乃木さんに向かって、
こう、切り出しました。
新樹霊:
私は、浅野新樹と、申す、
名もなき、青年で、
生前、ただの一度も、あなたに、
お目にかかったことは、ございませんが、
無論、あなたの、お名前は、
子どもの時分から、よく存じております。
殊に、大連に住んでおった、因縁から、
あなたの、当年の、ご苦戦の次第は、
つくづく、腹にしみております。
至って弱輩の身では、ありますが、
共に、幽界の住人としての、誼(※よしみ)を、
以て、
これからは、時々、お訪ねさせて、
いただきます。
僕が、そう言うと、
乃木さんは、たいへんに、喜ばれました。
乃木さんは、写真で見た通りの、お顔で、
頭髪も、髭も、ほとんど真っ白で、
随分、お爺さんですね。
和服をつけて、甚だ、寛いでは、
おられましたが、
しかし、風評の通り、
その態度は、謹厳そのもので、
甚だ、言葉少なにして、おられました。
つづく
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☆☆【私(※一風)から】
この後、いよいよ、乃木将軍の、
言葉が、出てきます。
この昭和5年は、
乃木さんの死後、約20年、経っている、
計算です。
乃木さんの、現在(※昭和5年)の、
心境は、いかなるものか?
次回を、お待ち願います。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。