『新樹の通信』から学ぶ、【真理】‥‥「52」
◎ 帰幽後の、一仏教信者 ①
○○信者の、Kさんの場合‥‥
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☆☆【私(※一風)から】
この章では、非常に重大な、教訓が、
示されることに、なります。
それは、何か?
【この世】には、さまざまな、宗教が、
あります。
その、宗教、宗教で、
説かれていることが、それぞれ、
で、あります。
それぞれの、宗教で、
それぞれの、方面から、【真理】に、
迫っているから、そうなるのだ、
と、解釈します。
同じ、【真理】に、向かうのでも、
その目的港に、向かう航路が、
さまざまあるのと、同じこと、
なのでしょう。
ここで、新樹霊が、探索するのは、
一人の仏教信者の、場合で、あります。
これは、ある一人の、一つの例では、ありますが、
よく似たパターンに、なっている人は、
多いのでは、ないかと、思われます。
・ ただ皆がやっているから、
形式的に、信仰する、
・ ただ、それのみを、よしてして、
盲目的に、信仰する、
ことで、「死後」、どのような状況に、
なっているか、が、新樹霊により、
これより、報告されます。
ただ、ここで、一つ、お断り申しあげますが、
私は、宗教を貶めたり、否定するものでは、
全くありませんし、
そのようなことは、全く、意図しては、
おりません。
私(※一風)は、
むしろ、各宗教に、それぞれ、
敬意と感謝の、念を抱く、ものです。
そして、それぞれの、宗教の、
宗旨の、その真髄に、迫ってこそ、
はじめて、【真理】に、気づける、のだ、
とも、考えている、者です。
読者の皆様に、おかれましては、
そこのところ、誤解のなきよう、
よろしく、お願い申しあげます。
それでは、読んでいきましょう。
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『新樹の通信』より
浅野和三郎:
ある日、新樹を呼んで、
四方山の物語りを、したついでに、
近頃、そちらの世界で、
誰か、珍しい人物に、会ったことは、
ないか?
と、訊ねました。
新樹は、しばらく考えて、答えました。
新樹霊:
格別、珍しい人にも、会わないですが、
この間、
一人の、熱心な、○○信者(※仏教)に、会って、
死後の感想を、訊きました。
それなどは、幾分、変わった方です。
浅野和三郎:
○○信者とは、面白いな‥‥。
どういうことで、その人に、会ったのか?
新樹霊:
なに、僕が、
指導役のお爺さんに、お願いして、
わざわざ、連れて来て、頂いたのです。
僕は、生前、仏教の事も、
キリスト教の事も、
少しも、知らなかったので、
それら、既成宗教の信者が、
◎ こちらの世界へ来て、
どんな、具合に生活しているか?
◎ どんな、考えを抱いているか?
一つ、実地に、調べてみたいと、
思ったのです。
そうすると、お爺さんは、
見本として、
◎ Kという、一人の老人。
何でも、15年あたり以前に、
62歳で、帰幽した人で、
専門は、養蚕家だと、言っていましたが、
その人を、連れて来てくれた、
のです。
生国は、寒い方の国らしい、
ですね。
若い時には、東京の学校で、
勉強したと、言っていました。
いかにも、物腰の柔らかな、
人品賤しからぬ、人物でした。
浅野和三郎:
面会した場所は、やはり、
例の、洋風の応接間かい?
新樹霊:
そうです。
初対面の、珍客ですから、
僕の方でも、大分念入りに、準備をしました。
応接間の中央には、一脚の卓子に、
しかるべく、椅子をあしらって、おきました。
それから、壁には、
掛け軸も、掛けました。
僕は、神さん、の方ですから、
皇孫命様の、お掛け軸を、戴いております。
それは、神武天皇時代のような、
御服装で、威風堂々、四海を呑む、
と言った、素晴らしい名画です。
洋館ですから、別に、八足台などは、
置きません。
ただ、普通の台の上に、
榊と、御神酒を、供えただけ、です。
浅野和三郎:
お前の、服装は?
新樹霊:
僕は、和服にしました。
鼠色の無地の着物に、共の袴、白足袋‥‥。
ごく、地味なものです。
浅野和三郎:
お客さんは、どんな服装だったかな?
新樹霊:
最初は、墨染めの法衣を、着ていました。
Kという人は、
現在では、もう、すっかり、
仏教的臭味から、脱却してしまって、
いるのですが、
元仏教信者であったことを、表現するために、
わざわざ法衣を、着てきたのだ、そうです。
ですから、
一応、挨拶を済ましてからは、
いつの間にやら、普通の、和服姿に、
変わっていました。
その辺が、どうも、現世らしく、
ない、点です。
浅野和三郎:
まるで、芝居の早変わり式、だね。
かなり、勝手が、違っている。
新樹霊:
勝手が、違っているのは、
そればかり、では、ありませんよ。
その時、僕が、ちょっと人間心を出して、
現世なら、こんな場合に、
茶菓子でも、出すところ、だがなあ、
と、思ったか、思わぬ時に、
早くも、お茶とお菓子とが、
スーッと、卓子の上に、現れました。
まるで、手品です。
もちろんそれは、一向に、風味も何も、
ありません。
単に、形式だけで、
つまらないこと、はなはだしいです。
地の文:
雑談は、いい加減にして、
私は、そろそろ、話題を、
問題の、中心に向けて、いきました。
つづく
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☆☆【私(※一風)から】
【霊界】が、思念の世界であることが、
わかります。
思ったら、それが、形となって、
出現するのです。
服装や、調度品、顔形、物品‥‥。
しかし、その、どれもが、
本来は、要らないもの、なのです。
だから、どれもが、味気のない、
影みたいな、ものとも、言えます。
さて、次回は、
仏教信者として、死後、どうだったか?
が、語られることに、なります。
皆様も、興味ある件だと、思います。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。