「人生」への新視点・18

◎ 安禅不必須山水
  (※あんぜん、かならずしも、さんすいを、もちいず)

  隔離された、専用施設よりも、
  今、この場所こそが、最高の修行場、である

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☆☆【私(※一風)から】

 今回は、禅語から、引用します。

 安禅不必須山水
 (※あんぜん、かならずしも、さんすいを、もちいず)
 滅却心頭火自涼
 (※しんとうを、めっきゃくすれば、ひも、おのずから、
  すずし)

 織田信長に、抵抗し、
 こもっていた山門ごと焼かれた、
 甲府の恵林寺(※えりんじ・甲斐武田氏の菩提寺)の、
 快川国師からの、
 言葉として、有名です。

 私(※一風)が、説明したいのは、
 その、前半部分です。

 素晴らしい禅修行とは、
 必ずしも、人里離れた、山の中に、
 あるのでは、ない。

 との、意味です。

 社会から、隔離された、
 僧坊や、修道院、なら、
 邪念からも、隔離され、
 集中して、修行も、進むこと、でしょう。

 ですが、
 本当の、修行は、
 ありふれた日常の中にこそ、あるもので、
 様々な、欲求が、渦巻く中でも、
 芯がぶれず、
 自分を、律せられるか、が、
 その、神髄と、言えましょう。

 そのために、私たちは、
 この、トレーニングジムとしての、
 【この世】に、わざわざ、
 生まれてきている、のですから。

 尚、
 快川国師の、後半の言葉が、有名ですので、
 これも、約しておきましょう。

 滅却心頭火自涼
 (※しんとうを、めっきゃくすれば、ひもおのずから、
 すずし)

 己の【魂】も、宿っている身体から、離してしまえば、
 たとえ熱い火であろうと、なんとも、感じないのだ。

 これは、
 真実で、あります。

 本当は、「死」の際、痛みなどは、
 感じない、のです。

 「死」の、一瞬前に、
 【魂】は、その身体から、離れてしまう、
 からです。

 いろんな事故死や、病死が、
 ありますが、
 死に顔は、どれも、安らかです。
 それは、
 こちらが、想像するより、
 死に際は、苦痛は、ないから、です。

 今回は、ここまでと、致します。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。