良い言霊:26
◎ 近江の海、夕波千鳥、汝が鳴けば
心もしのに、古思ほゆ
柿本人麻呂の【言霊】
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☆☆【私(※一風)から】
歌聖・柿本人麻呂は、持統天皇の、
宮廷歌人でした。
持統天皇とは、女帝です。
持統天皇は、天智天皇の娘であり、
天智天皇の弟である、天武天皇の皇后と、
なりました。
つまり、叔父に嫁いだ、のです。
しかも、
持統だけでなく、他の3人の天智天皇の娘も、
天武天皇に、輿入れしています。
それだけ、天武天皇が、強い弟であった、
ことを、示しています。
天智天皇は、白村江の戦いに敗れると、
都を、飛鳥から、琵琶湖畔の大津に、移します。
大陸の勢力に、備えての、遷都でした。
息子の、大友皇子と共にです。
史上初の、大和・河内以外の、都です。
しかし、ご存知のように、
この大友皇子と、大海人皇子(※天武天皇)との、
壬申の乱によって、
天武王朝と、なります。
天武天皇の崩御の後、
皇后であった、持統が皇位につきます。
そうなるには、
他の姉妹との、し烈な競争もあったに、
違いありません。
持統天皇として、即位後、
きっと、父・天智帝の都の跡ににも、
行幸されたこと、でしょう。
そこには、宮廷歌人の、柿本人麻呂も、
当然、随行します。
そこで詠まれた歌こそ、
この、
◎ 近江の海、夕波千鳥、汝が鳴けば
心もしのに、古思ほゆ
だったと、思われます。
たった数年間だった、近江朝の都。
その都も、
◎ 国破れて山河あり、
で、すっかり荒廃しています。
その様子を感慨深く、眺めていたであろう、
持統女帝。
その思いを、柿本人麻呂は、
歌に、したのです。
その思いから、持統女帝は、
都を、飛鳥から、北に大きく動かせ、
大和三山の中央部に、
「藤原京」を、造ったのでした。
古いものへの、郷愁と共に、
新しいものを、造りだす、パワーにも、
私たちは、学ぶべきでしょう。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。