良い言霊:29

◎ 防人に、行くは誰が背と、問ふ人を 
  見るがともしさ、物思ひもせず

  防人(の妻)の【言霊】

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☆☆【私(※一風)から】

 朝鮮半島での合戦・白村江で、完敗した、
 日本は、
 防衛線を、九州に置きます。

 九州の拠点は、太宰府で、
 太宰府を守る土塁を、築き上げ、
 防衛ラインと、したのです。

 この、防衛ラインを、守る任務につく、
 のが、「防人(※さきもり)」でした。

 東国出身の男子が、その任務につけられ、
 三年勤めなければ、なりません。

 その間も、出身地での、年貢はそのまま、
 でしたので、残された、家族で、
 田畑を、耕さねばなりません。

 防人に行かされる、男子も、
 任期が終われば、九州で解散と、なるので、
 自力で、帰らねばなりません。
 ここで、亡くなる人が、
 多くありました。

 防人を、いったん集合させ、
 船で、九州に送る、拠点に、
 難波が、ありました。

 ここでの、長官が、
 中納言・大伴家持だった、のです。

 彼は、ここで、防人からの歌を、
 記録しました。
 それが、『万葉集』として、
 残された、わけです。

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 ‥‥

 今度の防人には、誰の良人が、なるのかしら?
 と、のんきに訊く人が、いますが、
 そんな、人の気がしれない。
 私の良人が、防人に行くことに、
 決まった、私の気も、知らないで‥‥。

 という、防人になる人の妻からの、歌です。

 この、妻からの、悲痛な【言霊】が、
 伝わります。

 ◎ 見るがともしさ、物思ひもせず

 が、この【言霊】です。

 大伴家持が、よくぞ、記録してくれていた、
 ことだと、思います。

 今も昔も、徴兵で戦争に出征することは、
 拒否できませんし、
 残される者の、悲痛は、
 察するに、余りあります。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。