ことわざに学ぶ「人生」:その268
◎ 修行
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☆☆【私(※一風)から】
「修行」は、何のために、
するのでしょうか?
道を究めるため?
悟りを、得るため?
だと、言われています。
では、「修行」しなければ、
ダメなのでしょうか?
だったら、
「修行」しない人は、
ダメな人なのでしょうか?
肉体を痛みつけ、
ハードな修練を、日々すれば、
道を究めることが、できるので、
しょうか?
お釈迦様は、
6年にも渡る、苦行を続けられましたが、
それでは、悟りは、得られないと、
苦行することを、止められ、
ました。
そして、
静かな禅定に入られ、
悟りに、入られた、
わけです。
「修行」の、有無と、
悟りの、有無は、
関係なかった、わけです。
「修行」しなければ、
悟れない、とは、
考えてみれば、大変不遜な、
考え方です。
「修行」したくても、できない人は、
どうなるので、しょうか?
そんなことは、全て、
悟りとは、関係なかった、わけです。
私(※一風)は、こう考えています。
悟ったからこそ、
滝にもうたれようと、するし、
坐禅しようとも、する。
滝がうたれることで、
その見返りとして、悟りを求めることは、
的外れも、甚だしい、と。
悟ったからこそ、
「修行」する、
これが、正当な見方、だと、
思っています。
私たちは、「修行」などしなくても、
元々、悟り、の、
存在だった、のです。
「修行」するのは、
その元々の姿を思い出す、
きっかけに、過ぎない、のだと。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。