小桜姫の言葉に学ぶ【真理】と「人生」09
◎ 北条某とやら申す、ズルい成り上がり者から、
戦いを挑まれ、幾たびかの激しい合戦の挙げ句の果てが、
あの三年越しの長籠城、
とうとう、武運つたなく、三浦の一族は、
良人をはじめとして、ほとんど全部、
城を枕に、討ち死にしてしまいました
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
☆☆【私(※一風)から】
この、北条某と述べられた人物が、
その後、戦国北条五代の始祖となる、
北条早雲、その人だった、のです。
小桜姫は、籠城戦となる前に、
場外へ疎開させられていました、ので、
城下から、
良人を含む、この一族の滅亡を、
目の当たりに、されたわけです。
その頃としては、
北条早雲は、無名であり、
成り上がり者と、小桜姫が述べるのも、
当然のことかと、思われます。
小桜姫は、こう続けます。
◎ その時分の不安、焦燥、無念、痛心‥‥
今でこそ、すっかり精神の平静を取り戻し、
別に悔しいとも、悲しいとも、
思わなくなりましたが、
当時の私どもの胸には、
正に修羅の業火が、炎々と燃えて、
おりました。
◎ 恥ずかしながら、
私は、一時は神様も、怨みました‥‥
人を呪いもいたしました‥‥
どうぞ、その頃の物語だけは、
差し控えさせて、いただきます。
と、あります。
記録によると、
永正13年(1516年)7月10日、
籠城戦、3年を経て、
兵糧尽きた三浦道寸・義意父子は、
城外に打って出て、
早雲軍の先陣を、二町ほど蹴散らした後に、
家臣ともども、壮絶な討死を遂げました。
時に、道寸53歳、義意21歳(小桜姫の良人)であった、
ということ、です。
小桜姫も、(※今や霊格高い神霊ですが)
当時は、一戦国婦人として、
ごく当然のこととして、
相手のことを、呪い、
敵討ちをできないか、
と、悶々としていたことが、
この通信より、わかります。
さて、私たちは、
このように、室町期の戦国の様相を、
知れた、わけですが、
それだけで、よいでしょうか?
最も知らねばならないことは、
戦国のことよりも、
死んで私たちが向かうこととなる、
【霊界】のこと、
ではないでしょうか?
今回は、ここまでと、いたします。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。