小桜姫の言葉に学ぶ【真理】と「人生」129
◎ 雛子の母親との対話 ①
※ なかなかしとやかな婦人で、
しきりに娘のことばかり、‥‥。
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☆☆【私(※一風)から】
今回は、雛子の母親のところに、
小桜姫が訪れ、
対話することに、なります。
この母親は、【この世】でも、
どこにでもいるような、ごく普通の
愛情あふれる、母親で、あります。
ですが、【霊界】では、かえってそれが、
足かせとなり、母親自身の進歩が、
遅れてしまったことが、語られます。
愛情は、大切な感情なのですが、
正しい知識が、持てなかったことが、
大いに関係していると、言えるでしょう。
では、早速、読んでいきましょう。
是非、読者の皆様も、冷静にお読みいただき、
ご参考と、なされていただきたく、思います。
◎ 小桜姫:
私は一度、こちらの世界で、
この娘の母親とも、面会を遂げることに、
なりました。
なかなかしとやかな婦人で、
しきりに娘のことばかり、気にかけて、
おりました。
その際、私たちの間に交わされた、
問答の中には、
多少、皆様のご参考になることが、
あるように、思われますので、
ついでに、その要点だけ、
ここに、申し添えて、おきましょう。
◎ 小桜姫:
あなた様は、ご生前に、
たいそう篤い仏教の信者だった、
そうで、ございますが‥‥。
◎ 母親:
私どもは、別に、平生、
篤い仏教の信者、というものでも、
なかったので、ございますが、
可愛い子どもを失った、悲嘆のあまり、
阿弥陀様に、おすがりして、
あの娘が、早く極楽浄土に行けるようにと、
一心不乱に、お経を上げたので、
ございました。
こちらの世界の事情が、少し判ってみると、
それが、いかに浅はかな、
勝手な考え方であるかが、
よく、判りますが、
あの時分の私たち夫婦は、
まるきり、迷いの闇に閉ざされ、
それが、わが娘の救われるよすがであると、
愚かにも、思い込んでいたの、でした。
あべこべに、私ども夫婦は、
わが娘の手で、救われました。
夫婦が、毎夜、夢の中に、
続けさまに見る、あの神々しい、
娘の姿‥‥。
私どもの、曇った心の鏡にも、
だんだんと、誠の神の道が、
朧気ながら、映ってまいり、
いつとはなしに、御神前で、
祝詞を上げるように、なりました。
私どもは、全く雛子の小さな手に、
導かれて、神様の御元に、近づくことが、
できたので、ございます。
今回は、以上です。
いくら愛しているとは言っても、
盲目的に、なることは、
相手のためにも、また自身のためにも、
ブレーキに、なるのです。
勝手な思い込みで、
また、勝手な想像で、
念を送っては、ならないのです。
この母親の言葉は、さらに続きますが、
それは、次回と、致します。
お待ちください。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。