小桜姫の言葉に学ぶ【真理】と「人生」164
◎ 参拝者の種類
※ 近年は、敬神の念が薄らぎ‥‥。
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☆☆【私(※一風)から】
神社に祀られている、小桜姫の立場から、
現世の私たちは、どう見えて、
いるのでしょうか?
また、どんな拝み方が、
より、神様に通じるので、
しょうか?
今回は、そのあたりのことが、
語られます。
読んでいきましょう。
◎ 小桜姫:
神社の参拝者と申しましても、
その種類は、なかなか沢山で、
ございます。
近年は、敬神の念が薄らぎましたせいか、
めっきり、参拝者の数が減り、
また、熱心さも、薄らいだように、
感じられます。
昔は、たいそう真剣な方が、
多かったもので、ございます。
時勢の変化は、こちらから観ていると、
実によく、判ります。
神霊の有るか、無いかも、
あやふやな人たちから、
単に、形式的に、頭を下げてもらいましても、
どうにも、致し方が、ございませぬ。
神詣でには、やはり、
真心一つが、元手で、ございます。
たとえ、神社へは参拝せずとも、
熱心に「心」で、念じてくだされば、
ちゃんと、こちらへ通じるので、
ございますから‥‥。
今回は、ここまでと、いたします。
参拝するからには、
まず、神様がおられるのだ、
と、確信することが、始まり、
ではないで、しょうか。
神様の、存在自体、あやふやな人に、
神社の参拝は、それこそ、
滑稽なことに、思います。
それなら、まるで空き家に、
訪問している、ようなもの、
ですから。
ちゃんと、人がいる、
と判っているから、家庭訪問する、
のと、全く同じことです。
ちゃんと、神様がおられる、
と判っているから、神社参拝する、
わけです。
そして、これは、普段が大事でしょう。
苦しい時だけ、神頼み、
では、都合がよ過ぎます。
普段で、平和な状態のときこそ、
参拝して、感謝すべき、
でしょう。
今回は、ここまでと、いたします。
次回も、この件で、続きます。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。