だとしたら、どう生きますか?【霊界】からの言葉 125

◎ R氏からの、報告

※ 「地獄」の第二境 ⑤

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
☆☆【私(※一風)から】

 この世界とは、物質だけで、できており、
 この私も、また、物質であり、
 死ねば、身体も崩れ、
 「無」となる、

 という考えに立つ「人生」観を、
 「唯物論」
 と、言います。

 死ねば、「無」なのだから、
 生きているうちに、
 できるだけ、楽しいことをしなければ、損だ、
 と言う、「人生」観に、
 必然的に、なります。

 生きているうちに、
 美味いものを、食べ、
 上等の衣服を、着て、
 御殿に、住み、
 お金持ちになって、
 高級車や、プライベートジェットに、乗り、
 沢山の、召使いに囲まれる、
 生活が、一番だと、
 言うことに、なります。

 皮肉なことに、
 このことが、そのまま、
 美色「地獄」、
 ファッション「地獄」、
 お金「地獄」、
 高級車「地獄」、
 健康「地獄」、
 に、繋がっていきます。

 それは、なぜか?

 「唯物論」が、未熟な考え方である、
 と、言えるから、です。

 なるほど、【この世】は、物質で、
 できています。

 しかし、大切なことが、抜け落ちて、
 いないで、しょうか?

 この物質でできている、身体を、
 動かしている、原動力は、
 何なので、しょうか?

 それは、ズバリ、
 【魂】
 だと、言えるでしょう。

 【魂】が、あるから、
 身体が、生かされており、
 【魂】が、抜けてしまえば、
 身体は、死ぬのです。

 その、肝心の、【魂】は、
 物質では、ありません。

 つまり、「唯物論」には、
 非物質の、【魂】のことが、
 抜けているのです。

 そして、今、
 R氏の、【魂】が、
 「地獄」の第二境で、格闘している、
 わけです。

 そんなR氏の腰に、鎖でできた、
 縄がかかっていることに、
 気がつきました。

 きっと、「祈願」の成果に、
 違いありません。

 それでは、
 今回の場面を、読んでいきましょう。

◎ R氏:

 かかる中でも、接近してくる鬼に、
 吾が輩は、背中をピシャピシャと、
 鞭打たれた。

 が、吾が輩は、そんなことには、
 少しも、頓着せず、
 急いで、腰の鎖をほどいた。

 鎖は、心細いほど、細いものだったが、
 しかし、長さは、予期したよりも、
 遥かに、長かった。

 吾が輩は、その鎖の一端を、
 輪なに、作り、
 雨のように打ち下ろされる、
 鬼の笞をこらえて、
 断崖の面を、調べにかかった。

 そして、目に入ったのは、
 壁面からヌッと突き出た、岩の一角、
 しかも、その上には、
 一条の畝が、続いている。

 吾が輩は、何回も、やり損ねた後で、
 とうとう、その岩角に、輪なを、
 引っ掛けることに、成功した。

 そして、この細い鎖をたよりに、
 絶壁を登り始めた。

 そして、こう「祈願」した。

 「どうか、この鎖が、断れませんように‥‥」

 以上です。

 R氏の格闘と、腰縄の鎖が、
 目に浮かぶ、ようです。

 無事に、崖を登ってほしい、
 ものです。

 どうなるのかは、次回と致します。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。