だとしたら、どう生きますか?【霊界】からの言葉 227

◎ L氏からの、報告

※ 「死後」展開される、生前の所業 ②

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☆☆【私(※一風)から】

 今回は、前回の続きで、
 その後半部と、なります。

 この、「死後」展開される、生前の所業、
 が、いかなる意味を、持っているのか?

 L氏の考えが、述べられます。

 それでは、読んでいきましょう。

◎ L氏:

 私の「過去」の、生涯、全部が、
 再び、自分の眼前に、展開して、
 実地、そのままの、活動を繰り返す、
 一つの、立体映画、なのであった。

 最初、それらの光景は、
 まるきり、順序がなかった。

 さながら、夢と同じく、
 全てが、一時に、眼前に、展開した、
 のだった。

 ああ、今まで、忘れていた、
 「過去」の、さまざまな行為が、
 再び、ありありと、湧き出た瞬間の、
 「心」の苦痛と、悔恨!

 しかも、どんな細かなことでも、
 ただの一つとして、省かれては、
 いないのだ!

 これを、見せつけられる、
 私の身にとっては、
 その間が、実に長く、長く、
 さながら、幾千年も、そうしておかれる、
 ように、感じられた、のだった。 

 しかし、こんな私の未熟な「心」にも、
 最後に、天来の福音が、ひらめいた。

 私は、生まれて、初めて、
 【神】に祈る「心」を、
 起こした、のである!

 この時、ばかりは、
 私は、真剣に【神】に「祈願」を、
 捧げた。

 すると、不思議なもので、
 今までの、混沌とした光景は、
 次第次第に、秩序が立ち、
 自然と、類別ができていくように、
 みえた。

 だいたいに、おいて、
 それは、年代順に、配列され、
 例えば、
 一筋の街道が、
 眼も遥かに、どこまでも延びいく、
 ような、ものだった。

 おそらく、この街道は、
 私が進むにつれ、永久に先へ先へと、
 延長し、
 最後には、【神】の審判の庭に、
 達するので、あろう。

 無論、この光景の中には、
 私の疲れ切った「心」に、
 多少の慰安を与えるものも、
 混じっていた。

 それは、他でもない、
 
 私が、かつて人を救った、
 親切の、行為。

 また、首尾よく、
 誘惑を退けた時の、
 「心」の喜び、などであった。

 とにかく、こうして、
 私は、【霊界】で、私がつくべき位置を、
 割り当てられた、のである。

 以上です。

 私たちへの、救いは、
 やはり、

 【神】への、「祈願」

 です。

 このことこそ、救い、
 だと、L氏は、言いたかった、
 のです。

 「人生」では、
 「悪行」を積み重ねてしまい、
 それによって、切っても切れない、
 因を、作ってしまって、います。

 【神】に、救いを求めること、

 これしか、ないのです。

 それを、最終的に、判らせるための、
 生前の所業の、再現、
 なのだと、私(※一風)は、
 思います。

 重い、重い、
 L氏からの、報告、
 でした。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。