だとしたら、どう生きますか?【霊界】からの言葉 278

◎ L氏からの、報告

※ 【霊界】の大学へ ⑧

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
☆☆【私(※一風)から】

 私たちには、「物質」しか、
 見えません。

 ですから、例えば、葬式においては、
 遺骸を、大切に扱い、
 花などを手向け、お別れを、
 しますが、

 【霊界】の「霊魂」から見れば、
 これが、的外れなことが、
 この「通信」だけでなく、
 あらゆる「通信」で、指摘されます。

 遺骸は、ただの遺骸であり、
 もう、そこには、何も存在していない。

 肝心なのは、その遺骸(※「身体」)を、
 動かしていた、原動力たる「霊魂」であり、
 
 その「霊魂」が、どうなっているのか?

 をこそ、知るべきである、と‥‥。

 私(※一風)も、全く、これに、
 同意見です。

 遺骸に「執着」し過ぎるのは、
 よくありませんし、

 墓に、こだわるのも、
 これに、同じでしょう。

 今回の、L氏からの、報告は、
 このようなことが、語られます。

 読んでいきましょう。

◎ W氏:

 叔父さん(※L氏のこと)、

 あなた方は、やはり家屋の内部に、
 住んでおられる、のですか?

◎ L氏:

 それは、そうだ。

 そして、「今」私は、
 大学の構内に、住んでいる。

◎ W氏:

 【霊界】の大学と言うのは、
 地上の大学に、似ているのですか?

◎ L氏:

 私の入っている大学の校舎は、
 オックスフォードの、クインズ・カレッジの、
 元の校舎で、あるらしい。

 つまり、
 現在の、古典式の校舎より、
 さらに、以前のものだ。

◎ W氏:

 ところで、叔父さん、

 私の父は、あなたの葬式の当日、
 あなたの為に、供養をしましたが、
 それは、【霊界】まで、通じましたか?
 
◎ L氏:

 ああ、よく通じました。

 しかし、それが葬式の当日だったとは、
 私には、思えなかった。

 何やら、それより以前のこと、
 のように、感じられた。

 供養の方が、葬式よりも、
 私にとっては、どれだけ有り難かったか、
 しれない。

 いやしくも、キリスト教徒たる者が、
 単に、遺骸を鄭重に取り扱うのは、
 どうかと、思うのだ。

 遺骸は、どこまでいっても、
 ただの遺骸だ。

 何をされても、もはや、
 無神経である。

 これに反して、「霊魂」は、
 生き通しである。

 【神】の助けなしには、
 一刻も、浮かばれない。

 葬式で、この「霊魂」が、
 打ち捨てられる、理由など、
 どこに、あろうか?

 「霊魂」こそが、大事なのだよ。

 今回は、ここまでと致します。

 本人を、正しく悼む「心」こそが、
 【霊界】に通じる、と、
 L氏は、言っているのです。

 ああ、かわいそうに、

 とか、

 安らかに、お眠りください、

 とかが、全く的外れなことが、
 わかります。

 なぜなら、当の本人(※「霊魂」)は、
 L氏のように、
 【霊界】で、忙しく活発に、生き生きと、
 動いている、のが、真実だから、
 です。

 【霊界】で、「進歩」されんことを‥‥

 などと、「祈願」することが、
 真っ当なので、ありましょう。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。