だとしたら、どう生きますか?【霊界】からの言葉 281
◎ L氏からの、報告
※ 真の「信仰」とは? ①
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☆☆【私(※一風)から】
話題は、変わりまして、
今回より、真の「信仰」について、
考えていきたい、と思います。
何を持って、真の「信仰」と、
呼べるので、しょうか?
私(※一風)も、これについては、
常に考えている、ところです。
【神様】のことを、知ってはいる、
が、
その教えを、【実行】に移せない、
私たちは、このジレンマに、悩まされる、
のです。
これでは、「信仰」とは、
呼べないのでは、ないか?
と、常々、考えている、
ところ、なのです。
さて、まさにこの問題に、
L氏も、直面している、ようです。
読んで、ぜひとも、参考にしたいと、
思います。
◎ L氏:
私は、ここで、
お前(※W氏)のために、
「信仰」と、「実践」、との関係、
について、説明する。
「信仰」と言うものは、
全て、「実践」された上で、
初めて、「生命」があると、
言える。
だから、
真のキリスト教徒、であるなら、
その平生の生活は、
キリストの教えに、はまり切って、
いなければ、ならない、はずで、
口では、「信仰」を唱えながら、
「実践」では、
キリスト教の説く、道徳を破っているなら、
その者は、単なる、
詐欺師の一人に、過ぎない。
ただし、
十分の努力は、しても、
尚且つ、誘惑にかかる者は、
また、別である。
私は、その者を、
詐欺師扱いには、しない。
それらの人々は、
いわゆる、
◎「信仰」あって、「実践」の伴わない「境涯」
に、編入されるのだ。
いちばん、いけないことは、
日曜ごとに、規則正しく寺院に行き、
残る六日の間に、
詐欺・道楽の限りを尽くす、
連中である。
これらの者は、
「地獄」に堕ちる。
「実践」できていない、ことが、
つまり、
「信仰」のない、証拠なので、ある。
今回は、ここまでと致します。
いや、この場面を読むたびに、
「心」かきむしられ、ます。
まさに、言い当たって、いるから、
です。
知っている、だけで、
行いが、伴わない、
反省しきりです。
皆様は、いかがだったで、しょうか?
さらに、次回からも、これについて、
読んでいきましょう。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。