閑話休題(2026/6/30)
・ 達磨大師の、面壁九年
・ なぜ、そうされたのか?
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☆☆【私(※一風)から】
◎ 達磨大師の、面壁九年
について、私(※一風)の考えを、
述べてみます。
尚、
これは、あくまでも、
私、個人の考えであることを、
おことわり、しておきます。
達磨大師は、正しい仏教の、布教のため、
インドを離れ、南北朝時代の、
中国に、南方から、向かいました。
南朝に、入ると、皇帝から、
たくさんの、寺院を建てたことを、
自慢されます。
そして、挙げ句に、達磨大師に、
※ これだけやったことの、功徳は、
どれくらい、あるのかね?
と、さも、自慢気に、念押ししたのです。
やったことの、見返りを求める段階で、
もはや、それは、「善行」では、
ありません。
単なる、善意の「押し付け」で、
「悪行」です。
達磨大師は、
◎ 一切、無功徳
と、正直に、回答されました。
これに、腹を立てた皇帝は、
達磨大師の、後を、兵隊に追わせます。
間一髪、小舟で、国境の川を渡りきり、
達磨大師は、難を逃れたの、でした。
これは、北朝に入っても、
同じでした。
正しい仏教を、授けるに、値しない、
状況であると、判断した、達磨大師は、
それなら、仕方ないと、
洞窟に入って、
◎ 面壁九年
の、禅定三昧(※ぜんじょうざんまい)に、
入られた、のでした。
これは、「今」も、全く同じことです。
残念ながら、
正しい【真理】を、授けるに値しない、
人が、ほとんど、です。
人々の、興味が、【この世】にしか、
向いていない、のです。
特に、【この世】での、損得や、流行に、
感心が、あるばかりです。
達磨大師は、無理に、授ける人を、
探す、ことは、されません、
でした。
私(※一風)も、これに、同意しています。
【真理】は、こちらから頭を下げてまで、
授けるような、安いモノでは、
ないから、です。
その、全く逆です。
「相手」から、ぜひにと、
頭を下げて、求められる、
崇高な、モノ、なのです。
達磨大師については、また、
述べたいと、思います。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございます。






