だとしたら、どう生きますか?【霊界】からの言葉 256

◎ L氏からの、報告

※ 先生からの言葉 ②

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☆☆【私(※一風)から】

 誠の「信仰」とは、
 【実行】を伴っていること、

 とは、理解できますが、
 行う、となると、
 ものすごく、難しく、厳しい、
 ことが、容易に想像できます。

 誰しも、が、
 我が身がかわいい、
 からです。

 何もせずに、いれば、
 昨日と同じくして、
 安泰を得られる、のかも、
 しれません。

 ですが、
 それは、停滞を意味し、
 「進歩」がない、
 とも、言えるのです。

さて、それでは、
 【霊界】の学校の先生からの言葉、
 の、後半部分を、
 読んでいきましょう。

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◎ 先生:

 真の「信仰」とは、
 【実行】の上に、発揮される、
 のである。

 また、そうでなければ、
 誠の「信仰」とは、言えない。
 
 「信仰」ある者でも、
 犯した罪の為に、苦しむ、
 ことも、あるだろう。

 人間は、
 いかなる「思想」、
 いかなる「行為」に対しても、
 責任がある。

 しかし、いずれにしても、
 誠の「信仰」を持つ、
 ということが、根本である。

 【霊界】では、
 他をあざむくことは、できない。

 否、
 自分自身をも、あざむくことが、
 できない、のだ。

 あなたは、半ば信じたから、
 それで、この、「境涯」に、
 置かれた。

 もし、少しも「信仰」が、
 なかったなら、
 「地獄」に、送られたで、あろう。

 まあ、勉強すること、です。

◎ L氏:

 この言葉に、A氏は、
 一言もなかった、のです。

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 今回は、ここまでと致します。

 A氏だけでなく、
 私(※一風)も、また、
 私たちも、一言もない、
 のでは、ないでしょうか?

 正しく「信仰」を持てば、
 まずは、自分自身が、
 その「行為」で、
 どれだけ、嘘をついている、かに、
 愕然と、するでしょう。

 知っている、とは、
 【実行】できている、
 と、同義、です。

 知っている、だけでは、
 L氏のように、「半信仰」の「境涯」に、
 「死後」、置かれるのです。

 これを、考えるとき、
 「人生」とは、なんと厳しい冒険かと、
 つくづく、思います。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。