新時代への、知識「28」
◎「頓悟(とんご)」と、「漸悟(ぜんご)」
※ 悟る、ときには‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【【神様】からの解説】
仮に、
【悟り】を、「100」と、すると、
「0」から、いきなり、「100」に、
なることを、
「頓悟」と、呼び、
「0」から、「10」→「20」→「30」‥‥
そして、「90」→「100」と、
段階的に、【悟り】に、近づくことを、
「漸悟」と、呼ぶ、
ようで、ある。
【この世】では‥‥。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ここで、問う。
・「90」の、【悟り】と、
「100」の、【悟り】には、
どんな、違いが、あるのか?
・【悟り】とは、「100」しか、
ないのでは、ないのか?
と。
お前なら、どう、答えるか?
それを、決めてから、次の、段落に、
進んで、もらいたい。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【悟り】とは、
「修行」を積むことで、
少しずつ、目的地(※【悟り】)に、
近づいていく、のだ、
という、考えでは、
ついには、【悟り】には、
たどり着けない、であろう。
【悟り】とは、
「0」か、「100」か、
しか、ないからだ。
「99」という、状態が、ある
と、思うのは、
悟って、いない、者の、
幻想、に、過ぎない。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
◎「そうか!」
と、突如として、目覚める、のが、
【悟り】である。
これこそ、「頓悟」、と言うのだ。
「漸悟」は、有り得ない。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
「修行」を、積んだ末、
悟る、場合も、あろうが、
悟った、瞬間は、
◎「頓悟」
であり、
◎「修行」は、関係なかった
と、思わされる、ことに、なるのだ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【悟り】とは、
◎「自力」での、【気づき】
であり、突如として、来る。
・教えられたり、伝えられたり、
は、できない。
このように、
例えたり、は、できるが、
◎ 【悟り】とは、「自力」での、発見
以外に、ないのである。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
だから、
悟った者、同士は、
お互いに、
◎「お前もか」
と、分かり合える、のである。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
では、悟る、ためには、
「修行」のような、ことは、
必要ないのか?
と、言われると、
それには、こう、答えよう。
◎ 日々の、「三昧(※ざんまい)」が、いる
と。
「三昧」とは、
◎ 夢中で、何かに、打ち込んでいる
ことである。
我を忘れて、無我夢中で、集中するとき、
突如として、【悟り】は、
訪れる、
のである。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
敢えて、言う。
・【神】が、「100」% いる
と言うか、
・【神】は、全く、いない
と言うか、どちらかしか、ない。
・【神】は、「50」% いる
などは、有り得ない、のである。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
今回は、ここまでとする。