新時代への、知識「30」

◎「啐啄同機」を、知る

※ 求めて、はじめて与えられる
  求めなければ、何も得られない

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【【神様】からの解説】

 「啐」とは、卵の殻を破り、まさに生まれようとする、雛鳥の、内からのツツき、のこと。

 「啄」とは、雛鳥のツツく音を、聞き、外から親鳥が、卵の殻を、割ろうと、ツツくこと。

 「啐啄同機」とは、「啐」と「啄」が、同時に、為されてこそ、雛鳥は、生まれることが、できる、こと。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 同機とは、同時のこと。

 しかし、厳密には、違う。

 雛鳥からの、「啐」が、まずあらねば、ならない。

 「啐」が、ないのに、
 親鳥が、「啄」すると、
 卵の殻を、破るのが、早すぎ、
 雛は、準備不足で、死んでしまう。

 また、
 雛鳥の、「啐」だけでは、
 殻を、破り切れず、
 途中で、雛は、死ぬ。

 大事なのは、
 雛鳥の、「啐」を、
 親鳥が、聞き逃さない、こと。
 
 ◎「啐」を、聞き、
  「啄」が、ある

 のである。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 「啐」とは、

 ◎ 求める、心

 「啄」とは、

 ◎ 与える、心

 弟子と、師との、関係である。

 弟子が、まさに、満ち足り、
 求める、気持ちが、出来たとき、

 はじめて、師は、弟子に、
 【真理】を、与えるのである。
 
 ◎ 機を見て

 である。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 弟子が、まだ、「未熟」で、
 求める、気持ちが、出来ていない、とき、

 【真理】は、与えられない。

 【真理】は、【真理】と、わからず、
 ただ、眩しいだけの、危険なものとして、
 却って、失明を、招くであろう。

 弟子は、未だ「未熟」で、
 【因縁】は、熟していない、
 のである。

 【真理】が、授からないのは、
 弟子の、
 それを、受け入れる、器が、小さすぎるからで、
 師は、決して、
 【真理】を、注がない。

 師は、弟子の、器が、
 大きくなるのを、待つしか、ないのである。

 弟子の、器が、
 【真理】を、授けるに、足る大きさと、なったとき、
 
 弟子、自ら、【真理】を、求める、のである。

 求めるとき、弟子には、すでに、
 【真理】が、見えている。

 師は、弟子に、確認するだけと、なる。

 これが、

 ◎「啐啄同機」

 による、

 ◎「免許皆伝」

 ということである。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 この点から、「啐啄同機」とは、

 ◎ 求めよ、さらば、与えられん

 と、同じ事を、言っているのである。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 今回は、ここまでとする。