新時代への、知識「30」
◎「啐啄同機」を、知る
※ 求めて、はじめて与えられる
求めなければ、何も得られない
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【【神様】からの解説】
「啐」とは、卵の殻を破り、まさに生まれようとする、雛鳥の、内からのツツき、のこと。
「啄」とは、雛鳥のツツく音を、聞き、外から親鳥が、卵の殻を、割ろうと、ツツくこと。
「啐啄同機」とは、「啐」と「啄」が、同時に、為されてこそ、雛鳥は、生まれることが、できる、こと。
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同機とは、同時のこと。
しかし、厳密には、違う。
雛鳥からの、「啐」が、まずあらねば、ならない。
「啐」が、ないのに、
親鳥が、「啄」すると、
卵の殻を、破るのが、早すぎ、
雛は、準備不足で、死んでしまう。
また、
雛鳥の、「啐」だけでは、
殻を、破り切れず、
途中で、雛は、死ぬ。
大事なのは、
雛鳥の、「啐」を、
親鳥が、聞き逃さない、こと。
◎「啐」を、聞き、
「啄」が、ある
のである。
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「啐」とは、
◎ 求める、心
「啄」とは、
◎ 与える、心
弟子と、師との、関係である。
弟子が、まさに、満ち足り、
求める、気持ちが、出来たとき、
はじめて、師は、弟子に、
【真理】を、与えるのである。
◎ 機を見て
である。
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弟子が、まだ、「未熟」で、
求める、気持ちが、出来ていない、とき、
【真理】は、与えられない。
【真理】は、【真理】と、わからず、
ただ、眩しいだけの、危険なものとして、
却って、失明を、招くであろう。
弟子は、未だ「未熟」で、
【因縁】は、熟していない、
のである。
【真理】が、授からないのは、
弟子の、
それを、受け入れる、器が、小さすぎるからで、
師は、決して、
【真理】を、注がない。
師は、弟子の、器が、
大きくなるのを、待つしか、ないのである。
弟子の、器が、
【真理】を、授けるに、足る大きさと、なったとき、
弟子、自ら、【真理】を、求める、のである。
求めるとき、弟子には、すでに、
【真理】が、見えている。
師は、弟子に、確認するだけと、なる。
これが、
◎「啐啄同機」
による、
◎「免許皆伝」
ということである。
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この点から、「啐啄同機」とは、
◎ 求めよ、さらば、与えられん
と、同じ事を、言っているのである。
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今回は、ここまでとする。