「人生」への考え方‥‥「17」、by【一風】
◎ 汝自身を「知る」
※「己」は、船長。「身体」は、船。
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【【一風】よりの解説】
◎「汝自身を知れ」
とは、「人生哲学」の中でも、
珠玉の「言葉」であると、思います。
皆さんは、「あなた」自身のことを、
ご存知で、しょうか?
私(※一風)も、
【神様】から、直伝されるまでは、
間違った、考えで、おりました。
それは、
・自分は、この「身体」であり、
自分のこと(※「身体」)は、いちばん、
自分が、よく知っている
くらいでした。
もちろん、「身体」と、考える中には、
脳も、含まれます。
脳が、いちばん大事で、
ここで、思考し、
ここに、精神の座があり、
つまり、
人間とは、「脳」であると、
まで、信じていました。
だから、脳が、死ぬと、
つまり、「身体」が、死ぬと、
自分自身も、消滅するのだ、と、
思って、生きていました。
「あなた」は、このことを、
どう、お考えでしょうか?
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私(※一風)が、現在、知っていること、
を、申しあげます。
否、
これは、信じている、ことではなく、
知っている、こと、です。
◎「己」とは、
この、「己」の「身体」を、操舵している、
船長のこと、である。
つまり、
◎「己」は、船長である
です。
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もう少し、詳しく、申しあげます。
「己」は、船を動かす、船長であり、
船と、一心同体では、ありますが、
船自身、では、ありません。
「己」は、船とは、
似ても似つかぬ、【存在】です。
もし、
船長である、「己」が、船から、退去すると、
その、船は、とたんに、彷徨(さまよ)いだし、
早晩、難破して、沈むことでしょう。
船は、海面という、平面上を、
前後に、動いていく、ものですが、
船長である、「己」は、
「己」独り身と、なると、
海面上に、縛られることなく、
自由に、空中を、瞬間移動、できます。
ただ、今は、
「己」と、船とは、
一心同体と、思い込んでおり、
「己」という、【存在】は、
船長室で、缶詰めに、なって、いる、
のです。
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どうでしょう?
これが、私(※一風)が、イメージしている、
◎「己」自身の、イメージ
です。
真実は、このイメージとは、少し違いますが、
これくらいで、いいと、思っています。
真実を、申しあげると、
この、船長、船、に、例えた場合、
◎ 船長は、船体より、一回り、大きい
◎ 船長は、船体を、包み込んでいる
◎ 船長は、非物質であり、船体は、物質である
と、イメージしづらく、なります。
まあ、とにかく、
◎「己」は、船長であり、船という「身体」を、動かしている
で、いいでしょう。
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この、船体は、物質で、できているため、
メンテナンスしたいと、なりません。
そして、大事に扱ったとしても、
耐用年数が、あります。
しかし、船長である「己」は、
非物質です。
その、「形」も、今は、船体を覆っているため、
船体と、似たものに、なっていますが、
真実の、「己」は、
どんな、「形」だって、とれるのです。
船体が、朽ち果てたと、しても、
「己」は、【健全】です。
船体から、離れるだけです。
そして、また、次の船体を、与えられるまで、
「己」の、回復に、つとめます。
船体が、与えられる時には、
その、船の、目的地や、
航路が、案内されます。
船主の、【神様】からです。
だから、「己」は、
今回の、航海の、航路と、目的と、目的港を、
知っている、のです。
ただ、船長室に、入った時点で、
忘れさせられます。
だから、本来の、目的港に、
着けずに、終わることも、あります。
しかし、船主(ふなぬし)である、【神様】は、
それを、責めたりはしません。
「己」の結果を、責めるのは、
「己」なのです。
「己」は、目的港に、着けなかったことに、
ものすごい、葛藤を覚えます。
だから、こそ、
また、次の船を、与えられるべく、
「己」の、回復に、つとめるのです。
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さて、
船の、最終寄港地とは、いったい、どこでしょう?
これは、皆さんに、ここで、
言うわけには、まいりません。
それには、理由が、あるのです。
【ダルマ堂】まで、お越しいただければ、
その、理由を、解説いたします。
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今回も、お読みいただき、ありがとうございます。