新時代への、知識「32」
◎ 全てが、「作務」(※さむ)である
※ 「作務」が、「三昧」(※さんまい、ざんまい)に至り、
【真理】に気づける
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【【神様】からの解説】
「作務」とは、労務の「修行」である、
と、言われているが、
それは、浅い理解である。
「作務」とは、動き、全てである。
・ 掃除すること
・ 食事を作ること
・ 洗濯すること
・ 読書すること(※経を読む)
・ 精神統一すること(※坐禅)
・ 対話すること(※問答)
・ 弟子の世話をすること
・ 師の世話をすること
さらには、次も、「作務」である。
・ 食事すること
・ 入浴すること
・ 寝ること
・ 洗顔すること
・ 植物を栽培すること
・ 動物を飼うこと
・ 建物を修理すること
さらには、
・ 歩くこと
・ 息すること
・ 見ること(※観る)
・ 聞くこと(※聴く)
ついには、
・ 生きること
・ 死ぬこと
つまりは、全てが、「作務」と、言える。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
「作務」であるからには、
・ 工夫を、考えること
・ やり遂げること
・ 集中すること
・ 自ら、すること
・ 周囲と調和すること
が、求められる。
ついには、
◎ 「三昧(※ざんまい)」
となる。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
集中による、
◎ 没我
である。
しているのでも、なく、
させられている、のでもなく、
◎ していること、と、「己」との一体
である。
自動的に、息をしているような、ものである。
・ 薪割りと、「己」とが、一体となり、
・ 草刈りと、「己」とが、一体となり、
・ 舟こぎと、「己」とが、一体となり、
・ 素振りと、「己」とが、一体となり、
・ 「介護」と、「己」とが、一体となり、
・ 読書と、「己」とが、一体となり、
・ 運転と、「己」とが、一体となり、
達人の、域となる、のである。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
【この世】に、起きることは、
◎ 全て、【必然】
なのである。
目の前に、起きることは、
【必然】なのである。
そして、それが、広い意味で、
◎ 全て、「作務」
と、なるのである。
起きることが、【必然】と、思い知れば、
嫌だ、などと、逃げていても、
始まらない。
起きることを、受け入れる、のである。
・ 悲しいこと
・ 辛いこと
・ 苦しいこと
も、受け入れ、「作務」と、するのである。
◎ 喜んで、する
◎ 「三昧」と、なる
ぜひ、こうあって、もらいたい。
たとえ、辛いことが、起きようと、
それは、【必然】である、
自分の計画通り、と、諦念し、
喜んで、「作務」と、するのである。
「作務」が、「三昧」と、なり、
ついには、ハッと、気づく、時が、
やってくる。
なぜ、今、ここに、「己」が、こうやって、いるのか?
に、気づける、のである。
イヤイヤ、事を、している、間中は、
時の、無駄である。
進んで、事を、してこそ、
道は、開ける
のである。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
今回は、ここまでとする。