「人生」への考え方‥‥「16」、by【一風】

◎「修行」論

※ 苦しみに堪えて行う「修行」か?
  喜んで楽しく行う「修行」か?

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【【一風】よりの解説】

 これは、重要な、テーマです。

 何かを、極めようと、
 自主的に、とことん取り組めば、
 それは、自然と、
 「修行」的な、ものになっていきます。

 そこには、「己」の、

 ◎「工夫」や、「考え」がある

 のが、特徴です。
 
 そこには、新たな発見や、気づきが、あり、
 さらなる、「修行」的なものに、
 連続していく、こと、でしょう。

 一方、他人のしている、取り組みを見て、
 ただ、闇雲に、「形」だけ、真似た、

 ・「猿真似」

 では、「工夫」や、「考え」が、
 欠けているため、

 ・ただの、「苦行」

 と、なります。
 
 ただ肉体を、痛めつけるだけの、「苦行」からは、
 ただただ、堪え忍んだ、だけ、
 という、成果(?)しか、得られないこと、
 でしょう。

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 研究者が、新しい研究に、取り組むとき、
 それが、有意義で、あれば、あるほど、
 その、研究者は、研究に、熱中し、
 時間の経つのも忘れ、没頭する、

 そんな事例は、枚挙に暇が、ありません。

 本人は、喜んでしていること、なので、
 「苦行」などとは、無縁です。
 
 たとえ、他人からは、
 「苦行」に、見えたとしても、
 本人は、喜んで、やっている、

 それこそが、「修行」(?)と、言えるのでは、
 ないでしょうか?

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 私(※一風)は、
 若い頃、【神様】と、出会うことで、
 その後、【神様】から、直伝された、ことの、
 確認と、定着させる、意味で、
 たくさんの、本を、読まされました。

 しかし、それは、「修行」、「苦行」、
 では、全く、ありません、でした。

 それは、まるで、
 ご飯を、食べるような、こと、でした。
 一文字、一文字、
 ご飯の、一粒、一粒を、噛み締めるが、ごとく、
 味わって、読んでいたのです。

 まことに、楽しい、時間で、ありました。

 また、その、時間は、飛ぶように過ぎ、
 あっという間、に、感じました。

 こういう、行いと、なることが、
 「修行」と、言える、
 のでは、ないでしょうか?

 「修行」と、いうより、

 ◎「三昧(ざんまい)」

 状態と、いうのが、正確だと、思います。

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 この、苦痛に、堪えて、
 あの、峠を、越えれば、
 幸せが、待っている、

 などというのは、
 ただの、願望であり、妄想であると、
 私(※一風)は、思います。

 苦痛に、対する、見返りを、
 望んでおり、
 幸せを、外部に、求めている、

 このことは、大きな、誤りである、ことを、
 私(※一風)は、
 【神様】から、知らされました。

 自分に、見返りを、求める、とは、
 これも、「我欲」です。

 お釈迦様も、「苦行」を、極められ、
 そして、「苦行」を、捨てられました。
 「苦行」が、間違いであることに、
 気づかれた、からで、あります。

 私(※一風)も、全く、
 同感です。

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 同じように、泥にまみれての、練習も、

 「己」が、考えて、工夫して、
 自主的に、進んでやっていることと、

 ただただ、他人に、強制され、
 苦痛に、堪えて、やっている、ことと、

 では、両者の、懸隔(けんかく)は、
 言うまでも無いこと、でしょう。

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 さて、「あなた」の考えは、
 いかがだった、でしょうか?

 【ダルマ堂】に、お越しいただき、
 お話を、聴かせていただければ、
 嬉しく、思います。

 今回も、お読みいただき、ありがとうございます。