小桜姫の言葉に学ぶ【真理】と「人生」61
◎ 日本武尊(※やまとたけるのみこと)の、
婦人であった、弟橘姫(※おとたちばなひめ)
のこと
※ 指導役の神様より、事情を解説して頂く
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☆☆【私(※一風)から】
日本武尊(※やまとたけるのみこと)の故事は、
『古事記』『日本書記』にある、
たいへん有名な、日本の東西を征伐した、
物語であります。
それに、ずっと付き添われたのが、
その婦人であった、弟橘姫(※おとたちばなひめ)
でありました。
小桜姫は、この弟橘姫の許へも、訪問し、
多くの問答を、されており、
それは、『小桜姫物語』原典に、あるとおり、
です。
ここでは、それについては、触れませんが、
多くは、物語の通り、であった、
と、語られています。
物語の終盤、東国征伐において、
走水(※はしりみず)で、船上、
にわかに大時化となり、この弟橘姫が、
海神を鎮めるため、入水し、命を捧げた、
のですが、これも事実であり、
その時の事情を、指導役の神様が、
語る場面を、今回、記載したいと、
存じます。
詳しく、その他の、
弟橘姫の言葉を知りたいお方は、
『小桜姫物語』原典に当たって、
お読み頂きたく、存じます。
◎ 弟橘姫:
(日本武尊)命様は、御国にとりて、
かけがえのない、大事の御身の上‥‥、
何卒、この数ならぬ女の生命を以て、
命の御生命に、かえさせ給え‥‥。
二度三度、この祈りを繰り返している内に、
私(※弟橘姫)の胸には、
年来の命様の御情けが、こみ上げて、
私の両眼からは、涙が滝のように、
溢れました。
一首の歌が、私の口をついて出たのも、
その時で、ございます。
さね刺し、相模の小野に、燃ゆる火の、
火中に立ちて、問いし君はも‥‥。
右の歌を歌い終わると共に、
いつしか私の身体は、荒れ狂う波間に、
躍っておりました。
その時、ちらと拝した、我が君の、
はっと驚かれた、御面影ーー
それが、現世での、見納めでございました。
◎ 小桜姫:
弟橘姫の御物語は、ひとまず、これにて、
打ち切りと、いたしますが、
ただ、私として、ちょっとここで、
申し添えておきたいと、思いますのは、
海神の怒りの件、でございます。
日本武尊様のような、あんな御立派なお方が、
なぜ、海神の怒りを買われたか?
これは、恐らく、どなたもご不審の点かと、
存じまするが、実は、私もこれについて、
指導役のお爺さんに、その訳を伺ったことが、
あるので、ございます。
その時、お爺さんは、こう答えられました。
◎ 指導役のお爺さん:
これは、こういうことじゃ。
全て、物には、表と裏とがある。
命が、日本国にとりて、並びなき、
大恩人であることは、言うまでもなけれど、
しかし、殺された賊徒の身になってみれば、
命ほど、世にも憎いものは、ない。
命の手にかかって、滅ぼされた賊徒の数は、
何万とも、知れぬ。
で、それらが、一団の怨霊となって、
隙をうかがい、たまたま心よからぬ海神の、
助けを得て、あんな希有の嵐を巻き起こした、
のじゃ。
あれは、人霊のみでできる仕業、でなく、
また、海神のみであったら、
よもや、あれほどのいたずらは、
せなかったで、あろう。
たまたま、こうした二つの力が合致したればこそ、
あのような「災難」が、急に降って湧いた、
のじゃ。
当時の、弟橘姫には、もとより、
そうした詳しい事情の、判ろうはずもない。
姫が、あれをただ、海神の怒り、とのみ、
感じたのは、いささか間違っているが、
それはそうとして、
あの場合の、姫の胸には、まことに、
涙ぐましい真剣さが、宿っていた。
あれほどの真心が、何ですぐ、
神々の御胸に、通ぜぬことが、あろう。
それが、通じたればこそ、
日本武尊には、無事に、あの「災難」を、
切り抜けることが、出来たのじゃ。
弟橘姫は、やはり、稀にみる、
優れたお方じゃ。
以上です。
怨念、怨霊、というものが、
実際に、あるということを、
この、指導役の神様は、言われている、
わけです。
私たちの「人生」においても、
この怨念、怨霊による、「災難」が、
あります。
そんな折りにも、私たちは神々と通じること、
こそが、大切だと、私(※一風)は、
解釈して、おります。
今回は、以上といたします。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。