【相談】
 私(70代男性・農業)は、ここまでずっと、働いてきました。日々、生活に追われる感じでした。とにかく、生活を、成り立たせる。その「思い」で、精一杯で、特に、神仏に手を合わせることもなく、ここまで来ました。
 このままの、延長で、「人生」を終えるのかと思うと、ふと、「何のために、生きてきたのか」との「思い」に、とらわれてしまいます。

 一風先生。
 こんな、私ですが、何かよい、ご助言、ありましたら、よろしくお願いします。

【神様】
 典型的な、日本人の、一回の「人生」である。
 ただ、「人生」を経験した、ということ。
 可もなく、不可もなく、
 といった、ところである。

 【神】に、気づき、
 日々、【感謝】の、念を捧げることと、
 生活に、追われることとは、
 全く、関係が、ない。

 生活に追われることのない、
 裕福な、暮らしのできる者が、
 神仏に、手を合わせられる、のだ、
 という、ことでは、
 大変な、勘違い、である。

 たとえ、どんなに、生活が、苦しかろうと、
 【神】に、【感謝】することは、
 できるのである。

 しかし、「人生」は、いつも、ここからである。
 今からでも、遅くはない。
 自分のための「人生」から、
 人のため、人の役にたつ、「人生」に、
 今、ここから、できるはずだ。

 それには、
 経済的、豊さ、貧しさ、は、
 関係は、ない。

 信心は、「お金」とは、
 無縁、であると、悟るべき、である。

【一風】
 いつになく、ご丁寧な、【神様】からの、
 ご回答、でした。
 もはや、これで、「あなた」への、回答は、
 尽きているかと、思います。

 団塊の世代の、方々の、頑張りで、
 現代の、日本は、ここまで、来れた、
 ということは、本当のこと、です。
 これについては、
 団塊の世代の、方々に、
 敬意と感謝を、申しあげます。

 ただ、それだからといって、
 生活に追われた、日々、だった、
 忙しい、日々、だった、
 と、
 神仏に、【感謝】する、ことが、
 あまりなかった、
 というのは、
 実は、つながっては、いません。

 何か、できなかった、ことを、
 「忙しい」せい、
 「困窮」のせい、
 に、しては、なりません。

 傲慢な、考え方では、ないかと、思います。

 どんなに、忙しく、
 どんなに、生活が、苦しかろうと、
 【神】に、【感謝】することは、
 できるのです。

 いつか、余裕が、できたら、
 ○○しよう、

 では、永遠に、そんな、日々、は、
 「あなた」の、前に来ない、でしょう。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 ◎「人生」は、いつも、ここからである。

 とは、金言です。

 たとえ、今、「あなた」が、
 高齢者と、なって、いようと、
 そんなことと、「人生」は、関係は、
 ありません。

 気づけた日が、吉日、なのです。

 気づけた、今、が、
 己を、変えられる、吉日、なのです。

 「あなた」を、変えられるのは、
 「あなた」しか、ありません。

 日々、こうやって、生きられるのは、
 実は、【神様】のおかげであった、
 と、気づいて、いただきたく、思います。

 これ以上のことは、
 【人生相談・ダルマ堂】にて、お話しさせて、
 いただきます。
 「あなた」の、ここからの、「人生」を、
 有意義で、明るいものとする、
 お手伝いを、させて、いただきます。