【相談】
家の敷地にあった祠(ほこら)を、事情があり、動かしました。その後、家族の体調に、異変が相次いでいます。
やはり、祠を動かしたことが、原因でしょうか?
一風先生。お教え願います。
【神様】
祠(ほこら)などは、そこに、祀る理由があったから、あるのである。
たいていは、無念の【念】を、封印してある、のである。災いを、為さないよう、丁重に祀ってある記しが、祠、なのである。
意味なく、祠、が、あるのでは、ない。全て、意味が、ある。
だから、いたずらに、触ったり、異動させては、ならない。
やむを得ず、異動させねば、ならない場合、封印されている、無念の【念】に、対して、その訳を伝え、丁重に祀らねば、ならない。(※それも、ごくごく、やむを得ない、場合に限られる)
【一風】
【真理】の視点から、申しあげます。
厳しいことを、申しあげますが、ご容赦願います。
【この世】には、たくさんの、祠(ほこら)が、あります。その、一つひとつに、そこに祀らねばならない、訳が、あったのです。
いかに、現代が、科学万能の、世の中となろうとも、【念】は、存在します。消えません。
【念】は、現代の科学では、検知不可能、なのです。検知されない、からといって、【念】が、ないのではありません。あるものは、あるのです。ただ、見えないし、検知できない、だけです。
「あなた」は、まずは、祠を、元の場所に、戻し、無念の【念】に、丁重にお詫びを、すべきでしょう。そして、地域の神職さんに、お願いし、祠を、祀らねば、なりません。
そして、地域の神職さんと、よく協力し、無念の【念】に、改めて、祠を、異動させてよいかどうか、お伺いを、立ててください。
いかに、科学万能であろうと、目に見えない、存在が、あるのです。それらを、記し、慰め、顕彰するために、
・鳥居
・祠(※元墓標であることが多い)
・社
などが、あるのです。
まずは、祠の【念】に、敬意を表すべき、でしょう。【念】に、教えを、乞う、姿勢が、求められます。
尚、改めて言います。【念】とは、【神】と同義です。祠とは、【念】を【神】として、祀ったものですから。
しかし、残念ながら、「あなた」には、この姿勢が、不足していたのでは、ないでしょうか?
我々も、一つの、【念】なのです。例外では、ないのです。無視されたり、勝手なことをされたら、「あなた」も、怒るはずです。それと、全く同じです。
さらに、【念】は、【念】に、お互い、尊敬の意志表示が、要るのです。「人間関係」と、同じです。
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