小桜姫の言葉に学ぶ【真理】と「人生」136
◎ 海の修行場の意味
※ 小桜姫としての「人生」の、修行場
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☆☆【私(※一風)から】
人間として生を受け、
「人生」を過ごす訳ですが、
いつかは、区切りをつけなければ、
なりません。
その「人生」に、ケリをつけなければ、
次に、新たな、スタートができない、
からです。
このようにして、【魂】は、
何回も、何回も、人間に生まれ、
何回も、何回も、「人生」を体験する、
訳です。
小桜姫の海岸の修行場は、
そういった意味が、あったようです。
それでは、今回のところを読んでいきましょう。
◎ 小桜姫:
この海の修行場は、私にとりて、
一つの涙の棄て場所でも、ありました。
最初、辺りの景色が気に入って、
はしゃいだのは、ほんのつかの間、
後は、ただ思い出しては、泣き、
更に思い出しては、泣き、
よくもあれで、涙が枯れなかったと、
思われるほど、泣いたので、ございました。
元来、私は、涙もろい女。
今でも、まだ泣く癖が止まりませんが、
しかし、あの時ほど、続けざまに泣いたことも、
なかったように覚えております。
が、思い出すだけ、思い出し、
泣きたいだけ、泣き尽くした時に、
後には、何とも言えぬ、しんみりと、
安らかな気分が、私を見舞ってくれました。
こんな意気地のない者に、幾分か「心」の、
落ち着きが、出てきたように思われるのは、
たしかに、あの海の修行場で、一生涯のおさらい、
をした、お陰であると、存じます。
私は、今でも、あれが私にとりて、
何より有り難い修行場であったと、
感謝せずには、おられません。
今回は、以上です。
私たちも、小桜姫のように、
ありたい、ものです。
私たちも、【霊界】に行き、
いつか修行が進めば、
「人生」の思い出の場所で、
総ざらえを、することになるのでしょう。
小桜姫の思いが、その時、
身を持って、実感できるに、違いありません。
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。