小桜姫の言葉に学ぶ【真理】と「人生」131

◎ 雛子の母親との対話 ③

※ 娘と再会はしたものの‥‥。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
☆☆【私(※一風)から】

 さらに、雛子の母親との対話は、
 続きます。

 この母親は、いまだに、
 考え方の基本が、
 現世と、現世での生活に、置かれており、
 【霊界】での出来事に、
 ついていけて、いないのでした。

 【この世】(※現世)とは、
 【魂】が、人間体験をする、
 一時的な、もの‥‥。

 その一時的なものに、考え方の基本を置いては、
 【魂】の進歩の妨げ、
 となってしまう、のは、
 容易に想像が、つくでしょう。

 その考え方を、捨て去ることが、
 執着を捨てる、と言うこと、
 なのです。

 たいへん厳しい言い方になりますが、
 現世で、たとえ親子であったとしても、
 それは、【魂】が、人間体験をするための、
 一時的な契約に、過ぎなかったこと、 
 と、いつかは、気づくべきでしょう。

 さて今回は、この母親との対話の、
 最終回と、なります。

 読んでいきましょう。

◎ 母親:
 私は、ふつつかな身に及ぶ限りは、
 一生懸命に、修行に励みました。

 そのお陰で、とうとう日頃の願いの、
 叶う日が、まいりました。

 どこを、どう通ったのやら、
 途中のことは、少しも判りませぬが、
 ともかく、私は、指導役の神様に連れられて、
 あの娘の住まいへ、訪ねて行った、
 のでございます。

 あの娘の亡くなったのは、
 六歳の時で、ございましたが、
 それがこちらの世界で、だいぶ大きく育っていた、
 のには、驚きました。

 幼顔は、そのままながら、
 どう見ても、十歳くらいには、
 見えるので、ございます。

 私は、嬉しいやら、悲しいやら、
 夢中で、あの娘を両腕にひしと抱きかかた、
 ので、ございます‥‥。

 が、それまでが、
 私の嬉しさの、絶頂でございました。

 私は、何やら、奇妙な感じ‥‥、
 かねて考えていたのとは、
 まるきり違った、何やらしみじみとせぬ、
 何やら物足りない感じに、
 ハッと驚かされた、のでございます‥‥。

◎ 小桜姫:
 つまり、軽くて、温もりがなく、
 手で触っても、カサカサした感じ、
 では、ございません、でしたか‥‥?

◎ 母親:
 全く、お言葉の通り‥‥。

 せっかく抱いても、さっぱり手応えが、
 ないので、ございます。
 
 私は、いかに考えても、
 こればかりは、現世の生活の方が、
 よほど結構なように、感じられて、
 致し方が、ございませぬ。

 神様のお言葉によれば、
 
 いつか、時節がまいれば、
 親子、夫婦、兄弟が、
 一緒に暮らすことになる、
 とのことで、ございますが、
 あんな、具合では、
 たとえ一緒に暮らしても、
 現世のように、そう面白いことはない、
 のでは、ございますまいか‥‥。

◎ 小桜姫:
 現世生活に、いくら未練の残っている、
 つまらぬ女性たちの、繰り言を、
 いつまで、申し上げてみたところで、
 ‥‥。

 今回は、ここまでと、致します。

 母親と同じ女性の、小桜姫が、
 こう感想を持つくらい、ですから、
 現世のことは、済んだことと、
 諦めることこそが、
 進歩に他ならない、と、
 言えるでしょう。

 現世では、人情こそが、「人生」ですが、
 それを、体験すれば、
 教訓として、【魂】に刻み、
 済んだことと、きれいに脱ぎ捨て、
 次へと、進まねば、ならないのです。

 たとえ非人情に、映ろうと、
 それが、冷厳なる【真理】、
 なので、であります。

 それを、小桜姫も、言っている、
 ように、私(※一風)は、思います。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。