小桜姫の言葉に学ぶ【真理】と「人生」185

◎ 『小桜姫物語』筆禄者、浅野和三郎先生のこと ④

※ 小桜姫とは、いったい誰なのか?

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☆☆【私(※一風)から】

 小桜姫とは、いったい誰なのか?

 浅野和三郎先生も、最初は、
 わからなかった、のです。

 後に、歴史を調べたり、
 三崎油壺に、現地調査することで、
 小桜姫の身の上が、通信通りであることを、
 確信した、のです。

 今回も、浅野和三郎先生の、
 言及を、読んでいきましょう。

◎ 浅野和三郎先生:

 それにしても、右の所謂、
 小桜姫、とは、何人(※なんぴと)か?

 本文を、お読みになれば、判る通り、
 この女性こそは、
 相州、三浦、新井城主の、
 嫡男、荒次郎義光、の奥方として、
 相当、世に知られている人、
 なので、あります。

 その頃、三浦一族は、
 小田原の北条氏と、確執を、
 続けていましたが、
 武運つたなく、
 籠城三年の後、
 荒次郎をはじめ、一族のほとんど全部が、
 城を枕に、討ち死にを遂げたことは、
 あまりにも、名高き、史的事跡で、
 あります。

 その際、
 小桜姫が、いかなる行動に出たかは、
 歴史や、口碑の上では、
 あまり、明らかでないが、
 彼女自身の通信によれば、
 落城後、間もなく、病にかかり、
 油壺の南岸、浜磯の仮寓で、
 寂しく、帰幽したらしい、
 ので、あります。

 それか、あらぬか、
 同地の神明社内には、
 現に、小桜神社(※通称、若宮様)、
 という、小社が、残っており、
 今尚、里人の尊崇の的に、
 なって、おります。

 今回は、以上です。

 1516年、三浦一族が、北条氏(※北条早雲)、
 に攻められて、
 滅亡します。
 時に、荒次郎21歳。

 翌年、1517年、後を追うように、
 小桜姫が、病没します。享年34歳。

 その後、約200年の時を経て、
 江戸時代、中期のこと、
 三浦諸磯を、津波から救ったことで、
 小桜神社が、建立となる。

 更に、約200年経ち、
 昭和初年、浅野和三郎先生のご婦人、
 多慶子さんの、「守護霊」として、
 小桜姫の霊言が、始まる。

 その霊言の内容が、
 私たちの「人生」に、大いに参考と、
 すべきこととして、
 今に、至る。

 『小桜姫物語』が出版される、や、
 残念にも、浅野和三郎先生が、
 ご他界される。

 こう、概略、把握できて、いれば、
 よいであろうと、思うのです。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。