ことわざに学ぶ「人生」:その287

◎ 「人生」は、イルージョン

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☆☆【私(※一風)から】

 イルージョン、とは、

 幻影、錯覚、さらには、
 奇術、と、いう意味です。

 奇術師が、パフォーマンスで、
 イルージョンを、しますが、
 大掛かりなものでは、
 人間の身体が、切断されたのに、
 別の所から、元通りとなって、
 颯爽と現れる、ような、ものもあり、
 拍手喝采と、なります。

 そうなるのは、
 観客である私たちが、
 目の前のことが、イルージョンであり、
 幻影、錯覚、だから、
 と、知って、楽しんでいるから、
 です。

 しかし、
 その観客が、イルージョンであると、
 理解していない、未開の文明の、
 人々であったなら、どうでしょうか?

 おそらく、
 目の前に、起きていることが、
 現実のことで、
 これは、大変なことが起こった、と、
 パニックに、なり、
 大騒ぎに、なること、でしょう。

 さて、
 これと、同じことが、実は、
 この、私たちにも、言えます。

 この、現実と見える、目の前のことが、
 実は、イルージョンであると、
 知らない、のです。

 この身体が、
 病気に冒され、
 悲惨な亡くなり方を、したとします。

 しかし、
 これも、イルージョンと、
 言えます。

 なぜなら、死んで、【霊界】に戻ると、
 五体健全で、ピンピンしている、ことに、
 気づくから、です。

 この、【霊界】にいる状態こそが、
 実は、現実で、
 【この世】のことの方が、
 幻であった、と、
 知るわけです。

 たとえ、【この世】で、
 どんなことが、起きようと、
 ちゃんと、元の健全で、完全な私として、
 【霊界】で、回収されるのですから、
 まさしく、
 イルージョンだったと、言える、
 でしょう。

 イルージョンとして、
 様々な「人生」体験が、出来ている、
 わけです。

 【この世】で、何が起きようと、
 全て、イルージョン。

 どんなに、大金を稼ごうと、
 それは、イルージョン。

 どんなに、大病しようと、
 それも、イルージョン。

 どんなに、辛い思いをしようと、 
 それも、イルージョン。

 どんなに、楽しい思いをしようと、
 それも、イルージョン。

 イルージョンだったからには、
 それは、幻影で、
 何一つ、【霊界】へは、持って帰れません。

 そうと、知りつつ、「人生」を送ることこそ、
 「人生」のベテランの、技だと、
 私(※一風)は、思っています。

 そうだと、知らない人は、
 先に述べた、未開の文明の人々、
 と、同じでは、ないでしょうか?

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。