ことわざに学ぶ「人生」:その250

◎ 知足

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☆☆【私(※一風)から】

 「知足」とは、
 老子の言葉で、
 足ることを、知る、
 という、ことです。

 人間の欲望は、止まることが、
 ありません。

 次々と、より良いモノを、欲しがります。

 ここらくらいで、良い、
 と、思っていても、
 次々と、新製品がコマーシャルされ、
 消費喚起、される、
 社会構造、だから、です。

 このくらいの、生活ができれば、
 もう、十分である。

 これで、もう私は、満足です。

 が、「知足」です。

 私(※一風)が、思うには、
 この、「知足」の生活を、
 我慢して、やるのでは、なく、

 ◎ 喜んで「知足」する

 となるか、どうか、です。

 我慢することは、いつか、破綻します。

 喜んでやること、進んでやること、
 だけが、
 長続き、するものです。

 「知足」を、喜んでできるには、
 やはり、
 【真理】の、修得が、欠かせません。

 お釈迦様は、喜んで戒律の生活が、
 おできになられましたが、
 (※恐らく、戒律を戒律だとも、
 思っておられなかった、であろう)
 弟子たちは、努力しなければ、
 戒律の生活が、できません、
 でした。

 なぜか?

 同じことを、するのにも、
 根本のところで、
 【真理】に達しているか、
 【真理】に達していないか、
 の差が、出てしまう、からです。

 訳がわかって、やるのと、
 訳もわからず、やるのとの、
 差です。

 あなたも、
 喜んで「知足」の生活が、
 できるのなら、
 逆に、
 【真理】に、達していると、
 言えるでしょう。

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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。