ことわざに学ぶ「人生」:その265
◎ 聴く耳の、有無
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☆☆【私(※一風)から】
あなたは、聴く耳を、お持ちですか?
このシリーズをお読みのあなたなら、
かなりの、聴く耳を、お持ち、
なのではないかと、推察いたします。
今回、
私(※一風)が、ここで問うているのは、
こと、【真理】について、
聴く耳を、お持ちか、どうか、
なのです。
【真理】について、
その第一は、やはり「死」について、
ということに、なります。
あなたは、この「死」について、
聴く耳を、お持ちで、しょうか?
たいがいの、反応は、
こうなります。
・ 「死」なんか、縁起でもないこと、
聴きたく、ない
・ 「死」なんか、より、
明日の仕事・生活を、どうするかで、
頭がいっぱいだ
・ 「死」んだら、「死」んだときのこと、
今、忙しいんです
・ もっと、歳とって、お迎えが近くなって、
聴ききたい、です
・ 「死」ねば、無なんだから、
聴くまでも、ないよ
等々、です。
いかに、【真理】について、
正しく説くことが、困難であるか、
その入り口からして、こうなのですから、
後は、推して知るべし、
なのです。
【真理】を、無理やり知らせることは、
不可能です。
相手が、真剣に聴く気になって、
初めて、「死」についての、説法が、
成立するの、ですから。
◎ 聴く耳の、有無
が、全てである、
と言っても、過言ではないでしょう。
たとえ、聴く耳があろうと、
そのほとんどが、
・ ひやかし
と、覚悟して、臨まねばなりません。
その証拠に、
反論が、すぐに、出てくる、
わけです。
・ 私の信じている神様は、
そんなこと言われていない
・ その証拠はありますか?
と、なるわけです。
この時点で、説法は不成立と、
なります。
この、
◎ 聴く耳の、有無
問題は、根深い問題だと、
痛感しています。
ただし、
この、聴く耳を持たなかった人たちの、
「死後」は、およそ、こうなることも、
お伝えいたします。
・ 「死後」がやはり、あった
・ 「死後」が、こうなるのを知っていれば、
あんな生き方を、しなかった
・ 「死後」こうなると、言ってくれる人を、
私は、軽く見ていた
・ 「死後」のことを、誰も教えてくれなかった
・ どう生きるかばかり、考えていて、
その先の、「死」を、考えることを、
避けていた
・ 私には、聴く耳が、なかった
親切に、言ってくれる人が、いたのに‥‥
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読者の皆様へ:今回も、お読みいただき、ありがとうございました。